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「君の杯が壊れた時にも、他人の杯が壊れた時と同じ態度を取らなければならない」
エピクトテス

2000年前の奴隷の哲学者の言葉です。よその家の奴隷の子供がうっかり杯を壊した時には、すぐさま「そんなのはよく起こる事だ」という反応があります。

それならば自分が杯を壊した時も他人の杯が壊れた時と同じ態度を君は取らばいいのです。

この事をもっと深刻な事に当てはめてみましょう。他人の子供、あるいは妻が死んだというのか。「人間だから仕方ない」と口にしない者は誰もいないでしょう。

しかし誰であれ自分の身内が死んだ時には、すぐさま「ああ」そして「私は惨めだ」などと言います。

だが他の人々に関してそんなことを耳にしたら、我々は一体どんな気持ちがするか思い出してみる必要があります。

「我が身にかけて考えよ」という教訓があります。それとは反対です。しかし我が身にかければ感情が入り込み冷静な判断を下せない時があります。

自分の事を他人として考えれば自己を客観的に見れるではないかというのです。

鳥の様に自分を上から見つめるのと同じ行為です。稲盛和夫塾長は「感性的な悩みをしない」と言われましたがそうするにはどうすればいいのかという問いの答えとも言えます。

鳳の君の同僚が「仕事の取引きで失敗して落ち込んでいるんだ」と言われた時、内心では「かわいそうだが、仕事での失敗の一つや二つは当然あるさ」そんな風に思わないでしょうか。

今の自分の視点からしか世界が見えないと怒りや憎しみの感情がもたげてきます。

「創造的失敗」の前にそんな心構えも大切なのかもしれませんね。

私の場合は自分の苦しみよりも縁者の苦しみの方が苦しいのですが 苦笑

本日は日曜日です。
小林本部長と寺岡会長の桜の山の草刈りのお手伝いです。