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(昨日の同行営業の道すがらのコスモス畑です)


この感想はR女史は、21グループの最年少23歳です。この前皆さんにご紹介しましたがまだ社長ではありません。23歳なりの仕事を任されつつ他の20人の社長や幹部たちと切磋琢磨しています。


こちらの内容は、先週提出された全文です。忙しくてパソコンの前に座れない時は携帯で入力されています。


やる気になった人は、これだけの事を当たり前の様にやります。この機関誌マラソンを終わる頃の彼女は26歳です。


この機関誌マラソンをやった26歳とやらなかった26歳の人は、どう違うでしょうか。考えなくとも別の人生を歩いている事はお分かりでしょう。


誰もがうらやむような何かを手にしている人は誰もが逃げ出すような努力の日々を送っています。


欲しがるべきは「結果として手に入れたもの」ではなく「そこに至るまでやめずにいられる人間的強さ」だという事です。


こんな風にやっている今はもちろん経営者としての手腕はまだまだ未熟です。しかしその必死な姿に感動して応援したくなるのが人ではないですか。それが「氣」なのです。


余談ですが弊社の小林支店長は、29歳から努力を継続してここまできました。


その姿を見て、子供達も警察や海上保安庁に合格して働く様になりました。


自らの成長を楽しみにしてやるから志の高さが違います。だからこそ努力しているとは思っていないのです。


私が敬意を評するR女史とは、いつの日か一緒に仕事をさせてもらいたいものです。

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稲盛塾長の教えの中に、一つの商品を売り出して成功した後に、その商品が駄目になったとしても大丈夫なように多角化をしていく必要があるとありました


売れないと嘆くのではなく、どうしたら売れるのか創意工夫をしなさいとありました。売れないのは売れないだけの理由があるともありました。


友人が働いている会社の社長様も言い方があったと思います。しかし間違っていることは言っていないのではないかと思いました


伝わり方が良くなかったのだろうか。私は友人に「それは大変だね」とは言葉をかけることはできませんでした。


いろいろと自分が社長だったら、と考えてみましたが「みんなで一緒に頑張って会社も社員もみんなで幸せになっていっちゃいけないの?」と言ってしまいそうになった口を塞ぎました。


まだ私は人を育てる、という立場ではありません。なのでどのような大変さがあるのかも想像がつきません。


これから立ちはだかっていくのがどんなものか全くわかりません。しかし、どんなに困難なことがあっても諦めずに前を向いて頑張りたいです


人は変わりません。しかし自分は変えることができます。稲盛塾長のようになるには全てを変えないといけません。少しずつ変わっていけたらと思います。


そして喜んで仕事をしてもらえて幸せになる方法を自分なりに見つけていけたらと思いました


今回は19号20号をさせていただきました。今週も勉強になりました。ありがとうございます。すごく胸が痛くなる言葉がたくさんあり、さらに精進していかないと思いました。

皆様、
ご指導よろしくお願い致します!

●機関紙マラソン19号

【私の好きな言葉】大賀典雄(ソニー株式会社代表取締役会長
 
私は「夢」という言葉が好きだ。夢は人生を変える。夢を持つことによって素晴らしい人々と出会え、またそうした出会いが私の世界を広げ、人生を豊かなものにしてくれた。
 
日本が終戦を迎え、夢を持つ余裕など無いような時代に幼少期を過ごした私は、幸いにして音楽に囲まれた環境で育てられた。そして尊敬する声楽家の指導の下、レッスンを重ねる内に自然にプロを目指していた。
 
思えば、私にとって「音楽」が全ての出発点だった。もし私が音楽の道を志すことなくドイツ留学を果たしていなければその後30年以上にわたりお付き合いさせていただくことになる今世紀最大の指揮者、故ヘルベルト・フォン・カラヤン氏とは出会うことはなかっただろう。

また、芸大生として高音質なテープレコーダーの必要性を訴える手紙を東京通信工業(現ソニー)宛に送らなければ、井深さんや森田さんと知遇を得ることもなかっただろうき、ソニーに入社し経営者になることもなかっただろう。
 
ソニーに入社することで声楽家になることは断念したが、仕事を通じて「音楽の素晴らしさをより多くの人に伝えたい」、「人々の心の琴線に触れる商品を一つでも多く世に送り出したい」という夢を実現することができた。
 
私は仕事でもプライベートであっても、夢を大切に育み、実現する決意さえ持てれば、それが推進力とかり、必ず新たな世界が拓けると信じている。
 
もちろん、ただ思い描くだけではなく、現実へ向けて努力しなければ叶うことはない。苦労を乗り越えて手に入れるとのだからこそ、チャレンジする楽しみもあり、それが実現した時の喜びは何事にもかえがたい。
 
これからも絶えず夢は持ち続けてゆきたい。

【塾長講話】第1日目
人生とは何かーという観点で会社経営に取り組んでいただきたい
《事業を成功に導くのには努力の積み重ねしかない》
 
私は皆さんに終始一貫して、「会社を立派にしてください」と言い続けております。皆さんの会社が立派になるということは、それだけ多くの人を雇用することができるわけで、社会的に意義のあることです。

また立派な事業を行って利益を上げ、税金を納めるということもたいへんな社会貢献です。このことは、会社経営という才能がある皆さんに、「経営をしてくれ」と神様が任務を与えたのですから、せっかくの才能を無駄にしないで、社会のため、自然のため、宇宙のために尽くすことが必要だろうと思います。
 
事業を成功させるために最も大切なことは、たとえどんなに地味な仕事であっても、その仕事を継続してひたむきに働くということに尽きます。親から継いだ事業であれ、自分で起こした事業であれ、うまくいっていないというのはその人が誰にも負けないくらいの努力を払っていらっしゃらないからです。
 
以前、内村鑑三の書いた『代表的日本人』という本を紐解いておりますと、二宮尊徳についての章がありました。
 
二宮尊徳は学問がなかったのでなんとしてでも勉強して立派な人物になりたいと思い、おじさんの家で働きながら陽明学を勉強しようと考えます。

つまり孔子や孟子の教えを勉強しようと思うのですが、夜、油をつけた小さな灯で本を読んでいると、おじさんに「油がもったいない」と叱られ、本人も素直にそうだと思います。そこで彼は夜、勉強するのをやめ、仕事をするときに歩きながら勉強し、そうやって陽明学を極めていきます。
 
尊徳はそういう努力を続けて、孔子が説いた「天道」を知り、「道徳律」を知ります。そして、それに則って生きていこうとします。その真髄になったのが「至誠の感ずるところ天地もこれかために動く」ということです。
 
このことを彼は「至誠の感ずるところ鬼神もこれを割く」と言っています。一生懸命なひたむきさがあれば天地も助けてくれるだろうし、神様も助けてくれるだろう、ということを信念にまで高めていったようです。
 
二宮尊徳はまた、「物事を行うには動機の善なること」をたいへん大事にしました。動機がよくない場合、たとえどんなよい行いをしても彼はそれを否定したと言われています。
 
このことは私が第二電電を作るときに、「動機善なりや私心なかりしか」ということを自問自答したことに通じます。私も尊徳と同じように、「動機が善であること」と、「至誠の感ずるところ天地もこれがために動く」という二つが揃っていれば、事業はうまくいくはずだと考えました。
 
だから誰かが親から引き継いだ事業が赤字だと聞くと、思わず「何をしているのだ」と言いたくなります。私に言わせれば、その人は働いていないのに等しいのです。私は「経営の原点十二カ条」で、「誰にも負けない努力を」と言っています。ただ単に“努力”するのではなく“誰にも負けない努力”が大事なのです。
《素人がつくりあげた京都の先端産業》
 京都の先端分野の会社は、立派な発展を遂げています。ある新聞を見ると、「京都の企業は利益率が大変高い」と書いてありました。別の新聞では、京セラ、村田製作所、ロームをとりあげて「好調を支える一芸戦略」とありました

アメリカにある私どもの系列会社の社長は、世界の経常利益上位二十八番目までに日系企業が五社入っていると教えてくれました。そなうちの四社が京都な企業で、もう一つはファナックでした。
 
私はそういう京都の企業がどうしてできたのかと考え、たいへんおもしろいことに気づきました。
 
独自の半導体で成功したロームの社長さんは、学生時代に炭素被膜抵抗という電子部分では最も簡単な抵抗を考案し、パテントを取られました。それをうまく量産する技術を考えて、卒業と同時にロームという会社を作られました。
 
村田製作所は、もともと戦前から清水焼のお茶碗を作っておられた小さな会社でした。それが京都大学の先生からのお声がかりで、清水焼の技術を生かしてコンデンサーを製造されたのがきっかけで電子部品を手がけられるようになったのが始まりです。
 
私が始めた京セラもそうですが、おもしろいことにそういった会社の社長さんは初めは皆素人です。もちろん、幅広い技術や豊富な知識なんかまったく持っていませんから、最初は単品生産でした。
 
そのように、京都で起こった会社が世界的な素晴らしい会社になったのは、決して立派な技術を持ったり優れたノウハウを持っていたからではありません。彼らは、二宮尊徳のように必死で頑張ろう、尊徳が鍬一本を頼りに朝から晩まで働いて村を豊かにしたように、一つの製品を必死になって育てあげ、成功を収めたのです。
《危機感と飢餓感がもたらした創意工夫が新分野を拓く》
 
しかしその成功で満足すると、その会社は零細のままです。私を含めて京都の先端産業の社長は、素人であるが故にたいへん自由な発想をしています。それは、素人だからこそ古い習慣を知らず、機械概念にとらわれずにすんだからです。
 
彼らは、物事に対して常に疑問を抱きました。革新的で自由な発想をする雰囲気がみなぎっていた京都で、素人でろくな技術も持たない人たちが単品生産の事業を起こし、二宮尊徳のように一生懸命に、「至誠の感ずるところ天地もこれがため動く」ということ、「動機善なること、真実なること」を信じてひたむきに頑張り、さらに成功していくのです。
 
しかも彼らは、一生懸命に頑張るとともに単品だけではいつ駄目になるかもしれないという不安を抱き、会社がつぶれるかもしれないという危機感を常に持っています。さらには、従業員を食べさせていくためにはこのくらいの売り上げではどうしようもないという飢餓感もありました。いわば、危機感と飢餓感が常につきまとっていた素人だったわけです。
 
そのように技術導入、創意工夫という努力を綿々と続けながら、拡大・発展をしていくことが中小企業から中堅企業への発展の段階なのです。
 
私の場合は、先生の紹介で京都の焼き物の会社に就職したのがこの世界に入るきっかけでした。研究部門に配属され、ニューセラミックの研究を命じられました。その研究を続けているうちに、すばらしい高周波絶縁材料、今でいうところの通信機器や弱電製品の電気を絶縁するのに非常にいい製品ができました。

その販路をどう開拓しようかと思い、国内の電機メーカーを訪問して回っているうちに、松下電器がオランダのフィリップスと提携して日本で初めてブラウン管を作るということを知り、私が開発したセラミックをブラウン管の絶縁材料に使ってもらおうと思って売り込みに行きました。
 
そのような時、上司の技術部長と意見が合わず、私が辞めることになったのです。それを聞いた多くの方々が、せっかくの新製品が埋もれてしまうのはもったいない、と声をかけて下さり、結局、私の上司や部下を含めて八人が、一緒にその会社を辞めて京セラを作ったのです。
 
その当時、会社の手元にあった売り物はブラウン管用の絶縁材料だけでした。そのため、その注文がいつなくなってしまうかもしれないという危機感があり、なんとかしなければという気持ちになりました。実は、二~三年でその製品は本当になくなりました。フィリップスはセラミックとガラスをコンバインしたものでブラウン管を作っていたのですが、RCAがガラスだけで絶縁できる製品を開発し、それが日本に入ってきたのです。
《生き延びたい一心で新市場・新製品を開発し続ける》
 
ガラス製の絶縁材料の方が、うんと安くて性能もいいというので、私どもが手がけていたセラミック製の絶縁材料はまさに数年で風前の灯となりました。私は急いで、大阪の小さなガラス製造会社を訪ねて、ガラス製絶縁材料の製造を頼んで回りました。
 
しかし、その硼珪酸ガラスを作るような工場では手に負えないような高温でしか溶解しないガラスです。すべての工場で断られ、仕方なくガラスの坩堝を自分で買って溶解窯を使わせてもらうことにしました。ところが、硼珪酸ガラスは特殊な坩堝でないと溶けないのです。私が買った坩堝に熱を加えて溶かしたときには、坩堝そのものが侵食されて底が抜け、窯を壊してしまうという事故を起こしたこともあります。
 
それでもなんとか硼珪酸ガラスを作り上げ、最初の商品がなくなる前にそのガラス製の絶縁材料は完成しました
 
私はテレビのブラウン管に使われるようなら、真空管の絶縁材料にも使えるのではないかと考えて、東芝や日立という大手メーカーを訪ねました。ブラウン管への使用だけでは将来性は知れているので、もっと用途を広げたい、なんとか市場を開拓したいという気持ちで一生懸命に走り回ったのです。
 
その後、トランジスタは現在のICにとって替わられるわけですが、その変転きわまりない状況のなかで、素人の私は自由な発想で危機感バネにしながら時代に合った新製品を次から次へと開発してきたわけです。
 
一方、磨耗しないというセラミックの特性を生かして、産業機械の部品に使ってもらうことを考え、新たに機械メーカーを回って用途開拓をしていきました。とにかくどこに使われるかは分からないけれど、セラミックの特性を説明し、各社に適切な使用はできないか聞いて回るのです。そうやって、繊維機械のなかでもとくに摩耗の激しい糸が滑るところにセラミックを使ってもらうという用途も開拓できました。ラジエータのポンプに採用されたのも、セラミックの特性が認められたからです。
 
そのように機械や車に関する専門的な知識は何もないのに、「セラミックは磨耗しない」という一つの特性だけを頼りに、単一の用途だけではいけないという危機感をバネにして次々に用途開発をしたのです。
 
それがいまでは超精密なエア・スライダーとか多軸ボール盤などの軸受けに採用され、さらにはセラミックエンジンの開発にまで進んでいるわけです。
 
恐らく数年後には、発電用のセラミックエンジンも日の目を見るだろうと思います。ほかにも、特性を生かしてバイオセラミックのような人工骨に利用しようとか、結晶技術を生かして人工宝石を作ろうとか、次々と応用を考えてきました。
 
このようにして、京セラは市場の創造・需要の創造・商品の創造・技術の創造という四つの創造の努力を繰り返しながら今日に至っているのです。
《目標の置き方で会社の将来像は決まる》
 
零細金業の方が危機感と飢餓感にさいなまれて、必死に技術開発や商品開発をして頑張って事業を拡大してたどり着くのが中堅企業です。中堅企業にとって大切なのは、その時に会社の目的がどう設定されるかということです。たとえ個人的な欲望をもとにしてであっても、会社の規模はこのくらいというふうに目標を決めると、そこに到達したときに先ほどの危機感と飢餓感は消え、満足感が出てきます。もし簡単に達成できるような目標を定めているようでは、その企業は中堅企業のままで成長は止まります。
 
実は、企業というのは自分の欲望を事業経営の目的に入れていたり、ある種の金額的な数字が目標になっている場合、その目標に到達した時点で成長・発展は止まってしまいます。さらにその壁を乗り越えて、自分の事業を大企業にまで持っていこうという人は考え方が変わってきているのです。
 
その時点から、数字だけが目標ではなくなり、自然の摂理における使命感、生き甲斐というものが目標になってきます。 私は日頃から、「謙虚にして騎らず、さらに努力を」と言って自分を戒めています。その根本にあるのは、「己の才能を私物化してはならない」ということなのです。
 
才能を私物化しない、とはどういうことでしょうか。この宇宙には、才能のある人もない人も含めて実に多様な人たちがいます。つまり、私たちが暮らす自然界は多様なものの “共生”した世界なのです。そういう多様な自然界の中で、特に人間の場合は社会を構成するために能力のある人もない人もいます。実際、私たちの社会に能力のある人や経営者だけがいたのではどうにもなりません。経営者になる人もいれば、自分に与えられた働きを一生懸命にする人もいるというように、社会にはいろいろな人が必要なのです。
 
例えば私、稲盛和夫という人間が京セラという会社を起こし、その会社の会長である必然性があったのかというと決してそうではなかったと思います。私でなく、皆さんの誰かでも良かったわけです。しかし、社会にとっては京セラというような意義のある会社をつくり、経営できる人物が一人は必要だったわけです。
 
神様が私に才能を与える必然性はなかったはずで、本当のところは誰でも良かったのです。この時期に、京セラという会社を経営する人物が社会に必要であっただけで、稲盛和夫でなければならないという必然性はなかったと思うことによって、私は「自分が持っている才能は自分の物だけではない」と思うことができるのです。たまたま神様が、社会のため、世のために才能を使えといって、たった一回しかない私の人生にその才能をさずけられたのであって、それ以外の何ものでもありません。だから驕ってはならないのです。自分の才能を利私物化し、自分が偉いと思うからつい傲慢になるのです。
 
経営者にとって大切なことは、たんなる経営の数字的な目的だけではなく、まさに「人生とは何か?」ということに目的を置き換えることです。
 
私に対して、「会社がここまで発展しているのに、なぜあなたは頑張るのですか?それほどお金が欲しいのですか」と聞く人がいます。私が一生懸命に働くのは、決してお金のためではありません。私に少しでも経営者としての才能があるのなら、それを生かして世のため、人のために尽くすことが当たり前だと考えるからに過ぎないのです。 私が一生懸命に生きて会社を立派にし、さらに発展させることに楽しみを感じ、そこに生き甲斐を感じ、みんなが喜んでくれることが楽しいと思うように、私は自分自身の価値観を変えていきました。
 
つまり経営者の考え方が変わると、零細から出発した企業でも、中堅堅企業を脱皮して大企業に発展することができるのです。トップが持つ目的意識が変わってくると、大企業に発展することも夢ではありません。
 
いつも言うように、中堅企業から大企業へと脱皮するために、私は皆さんに“考え方”を変えていただきたいと心から思っています。

【塾長講話】第2日目
我々の人生は“魂の浄化”のためにありそれを実現するのは“利他行”である
《人の魂は輪廻転生するーその魂を磨くことが人生の意義》
 
私は若い頃から、自分にとって人生とは何なのか、自分は何のために生まれてきたのか、あるいは自分は何をするためにこの世に生を受けたのかというようなことを自問自答しておりました。
 
私は、皆さんに対して日頃から仕事を一生懸命にしなさいと撤を飛ばしていますから、仕事をするために人生があるのかと思う方もいるでしょう。経営体験を発表された方のお話を聞くと、人間は苦労するために生まれてきたのかなと思うこともあるでしょう。あるいは楽しいことをするために、愉快な人生を送るために生まれてきたのかなど、人それぞれいろいろと思われることでしょう。
 
実は、自分にとって人生は何なのか、人生はどういう意義を持つのかということを、誰にとってもそれをクリアにしておく必要があると思います。人はそれぞれ氏素性も違えば、生まれたときの環境も、その後の生い立ちも、これまでに至る過程も、また現在の状況もそれぞれに違う人生を歩いていますが、共通しているのは「それぞれの人生の目的・意義とは何なのか」ということを求めているということであると思います。
 
一つの言い方として、「我々の人生の目的や意義は自分自身の魂、その本質である“真我”の浄化、純化、深化をするためにある」のです。つまり、自分そのものの浄化、純化、深化を遂げるためにこの世に生まれてきたというのが正しい解釈だと思います。普通、この人生はたった一度しかないと思われていますし、我々はそう思おうとしています。
 
私もその言葉が好きでよく使います。 第二電電をつくったときも、従業員みんなの求心力を求め、魂を揺さぶるために、私は「たった一回しかない人生で、一世紀に一度あるかないかという変革の時代に生まれ合わせた。なかんずく、情報通信の民営化、自由化、新規参入を認めるという時代の大変革の時にそれを担うのに適当な年齢になっており、たまたまそれを担いうる立場にあるということは千載一遇のチャンスである。だとするなら、このチャンスは絶対に逃してはならない。たった一度の人生、そういうすばらしいチャンスが目の前にあるんだから、悔いの残らないように燃えてみようではありませんか」と皆さんに語りかけました。
 
しかし本当はたった一度の人生ではなく、我々の真我や魂は、仏教の教えにあるように「輪廻転生」を繰練り返しているのです。ただ、過去の記憶をなくして現世に生まれて来るので、何回現世に出てきたか知る由もないのです。
 我々の魂は輪廻転生を繰り返しながら、何度となくこの現世に生を受け、魂の浄化、純化、深化を行っています。つまり、我々の人生は自分自身を磨くためにあるのだという風に考えるべきであります。
《世のため、人のために尽くすーそれが即ち人生の目的・意義である》
 別の言い方をすると、魂や真我を浄化、純化、深化させる方法はいくつかあります。仏教においては八つの行がありますが、その中で最も大事なものは「善行を積む」ことです。要するに「利他行」です。それを簡単に言うと、世のため、人のために尽くすということです。
 
人生の目的や意義について考えるとき、仏教的な考え方に馴染みのない方は、「人生とは世のため、人のために尽くすために生を受けたこと」と考えればいいのではないでしょうか。
 
世のため、人のため、ということを分かりやすくいうと、その範囲を自分が住んでいる地域社会と考えてもいいし、地域や県、地方あるいは日本、世界、宇宙と考えてもいいでしょう。できればなるべく大きく宇宙規模のこの世と考えると尚いいかと思います。
 
皆さんはよく、街角や家の軒下などに「世界人類が平和でありますように」という標語を目にされると思います。それは本当に普通の人だった方が悟りを開き、新興宗教を起こしてあのようなことをしていらっしゃるそうです。私は深い教義は知りませんが、「世界人類が平和でありますように」という標語を信者の方々は街の至る所に掲げておられます。これはなんでもないことのようにみえますが、「世界人類が平和であるように」という
のは、まさに世のためということなのです。
 
我々が行うごく小さなボランティア活動も世のためですが、 「世界人類が平和であること」を毎日祈るということは、実は地球規模の大きな愛に目覚めた教義といえましょう
 
そういうふうに、自分の心の中に現世で生きる目的を明確に持つと、何をするにも迷いがなくなります。つまり、その目的に合った生き方そのものに迷いがなくなり、確信に満ちた人生を歩くことができるのです。この全国大会は、大変な時間と費用を費やして塾生の皆さんが一カ所に集まり、お互いが研鑽しあって一生懸命に人生や経営を学ぼうとしています。これも世のため人のため、真我の浄化、純化、深化を求める心がなせる行いにほかなりません。
《厳然として存在する陽と陰の世界》
 
私は決してオカルト的なことを言うつもりはありませんし、インテリにはどうしても受け入れられにくい点があることも知っています。私自身、それらのことについて悩みに悩み、時間をかけてやっと納得できただけに、皆さんにもあまり言いたくありませんでした。
 
しかし、我々が生きている現世とは全く別の「あの世」は厳然として存在するということは信じて欲しいのです。「霊魂」というものがちゃんとあるということを信じて欲しいのです。私たちの周りには、それらを否定したら解けないことがたくさんあります。
 
「陽と陰の世界」は厳然としてあるのです。我々が死んであの世へ行き、そして輪廻転生を繰り返すことができるのは、あの世、つまり霊界があるからこそできることで、それはまぎれもない事実なのです。しかし、我々にはそれを証明することができないので一応否定します。私は、二十一世紀になって人類が最終的に救われるときにはおそらくあの世の存在が立証されて、万民が納得する説明がなされる時代が必ず来るだろうと思います。
 
霊界というものが存在すること、人がその肉体を脱ぎ捨てて帰って行くところがあるということを信じることは、人間として修行する、魂を浄化、純化していくためにはたいへん大事なことなのです。
 
私はこれまで、 “魂 ”とか “真我”とは何だろうと考え、多くの本を読みました。そこで気づいたことは、どうも我々が意識をすること、私がよく言う「潜在意識に透徹する」というときの潜在意識も含めて私どもが持っている意識、実は魂は意識体と言いますが、それは存在すると思います。脳細胞が働いて意識が発生するのはご
く一部の五感から出てくる意識ですが、それらを総称した意識は厳然としてあるのです。それが意識体であり、魂ではないかと私は思います。
 
我々の人生とは、簡単に言えば世のため、人のために尽くすためにあるのであって、とりもなおさず魂や真我を浄化、純化、深化させるための一つの大きな要素として“利他行”があり、それをするために人は生まれてきたのです。魂を浄化するために修行すると言いましたが、修行の中で大きな要素が“利他行”です。
 
我々は現世で悪いことをしてきています。悪い思いは悪い業をつくり、よこしまなことを思えばそれはすべてあなたの魂にカルマ(業)として沈着します。強烈な思いや願望は必ず実現すると言うのは、その カルマが必ず現象として現れるということなのです。成功体験の本を読まれると分かると思いますが、どの本にも必ず「思いは実現する」と一貫して書かれているはずで、それはこの現象を指しているのです。
《経営者としての“修行”は一生懸命に働くことである》
 魂や真我を浄化、純化、深化するために、人類は有史以来大変な苦労をしてきました。例えば、禅宗のお坊さんは毎日の厳しい修行の中で座禅を組んで魂の浄化を求めておられます。比叡山では、千日回峰というすさまじい荒行をやって自分の魂、つまり真我の浄化や純化を呼び起こされています。またヨガの聖人たちは、ヒマラヤの深山にこもり膜想に耽って魂の浄化、純化を見つめています。それは、魂が美しくなっていく度合いによって、あの世に帰って行くところが違うと言われているからでしょう。人間としての最終目的が魂の浄化にあるために、一生涯をかけて修行しておられる方々が人類の有史以来数多くいらっしゃるわけです。
 
私たちはいまこうして現世に生まれてきて、事業経営を行っています。私はいつも皆さんに、「自分一人生きるのもたいへんなのに、一人でも二人でも従業員を雇い、その家族を養っていくことは並の苦労ではできません」と言います。そのことがすでに、“利他行”だと何度も言っています。
 経営をしている私たちには、宗教家がその一生涯を通じて荒行をしたり修行したりしながら、一生懸命に魂の純化や浄化を求めるような暇や時間はありません。では私たちのように、経営者として寝る暇もないような毎日を過ごしている人間は救われないのか、悟りをひらくことができないのか、魂の浄化や純化はできないのかというと、決してそうではありません。そのためには、次のことを経営の場で実行すればいいと私は思います。

一・誰にも負けない努力をする
 「誰にも負けない努力を必死ですること」は、実は仏教の修行にも匹敵することなのです。経営者が必死で働くことはすなわち仏教でいう精進であり、「精進をする」ということは一生懸命生きることなのです
ニ・謙虚にして騒らず
 中国の古典に、「ただ謙(虚)のみ福を受く」という言葉があります。厚かましい人や強引な人が、いい結果を得るわけではありません。経営者というものは人を押しのけてもという人が適任者のように見えますが、大成する経営者は決してそうではありません。燃えるような闘争心や闘魂を秘めながら、謙虚な人、控えめな人が実は大成いたします。
三・毎日の反省
 これは利己の反省、つまり利他行をする前に利己を反省しようということで、自分だけよければいいというようなよこしまな利己を反省して消す、いわば「利己の反省と払拭」です。このことは、禅宗の白隠禅師の『坐禅和賛』に、魂を浄化していくためにはいろんなことがあるという意味で、「念仏儀悔修行等」という言葉で表されています。
四・生きていることに感謝する
 毎日ここにいること、現世に存在していることに感謝することを忘れてもいけません。人は、幸せを感じる心がなければ感謝には至りません。普通の人間は常に不足だらけで、その不足の心があるから不満だらけなのです。人は、「足るを知る」ことが大事です。足るを知れば幸せを感じる心が出てくるし、幸せを感じると感謝することを知ることができます。
五・善行、利他行を積む
 善行、つまり利他行を積むことです。世のため人のために尽くすことです。これは今まで言ってきたことの中で最も大事なことです

六・感性的な悩みをしない
 感性的な悩みをしないとは、くよくよした心配をしないということです。

 
私は決して宗教家がするような荒行をしたり、毎日座禅を組む暇がなくてもこれだけのことを仕事の場で実行すれば、魂の浄化や純化ができると思っています。
 
思っているというよりは、私がこのような考に至り、こういうことを始めてから私の人生も私の仕事も、私の才能とか能力を超えてすばらしく順調に推移しています。あたかも神様が手伝ってくれるように、やることなすことがうまくいくのです。本当に信じられないくらいすばらしいことが起こっています。
 
それはあたかも宗教家であればすごい霊能力を持った人というように言ってもいいのかもしれません。すばらしい超能力的な超常現象を起こせるような人、そういう解釈をするのではなく、誰にでもできることを綿々と毎日やっていればすばらしい人生になるのです。
 
我々経営者は、姑息な金儲けのために働いている薄汚い商人ではありません。我々は経営をする以上、利益の追求をします。しかし、その利益を追求するのは社員があり、社員の家族があり、私の家族があり、その人たちの現在と未来の生活を守るために必死で働いているわけです。自分一人生きるだけでも大変なこの時代に、従業員の家族を守って行こうというのは“利他行”であり、“善行”にほかなりません。そういうことを一生懸命やって、従業員の人もこの会社に入ってよかった、この社長の元で働いてよかったと思われるような会社を作っていくということは、まさに宗教家が修行で得られることと同じような結果を招きます
 
そういう純粋な生き方は、必ず天地もこれがために動き、鬼神もこれを割くのです。神様もすばらしい心根に感動されて応援してくれると私は信じています。信じるだけでなく私がこうして生きてきて、とくに後半の人生において力以上、能力以上のことができているのはそのためではないかと思っているからなのです。
 
経営を教えてあげる先生として〈盛和塾〉を主宰しているのに、京セラという会社の業績が低迷していたのでは口先だけではないかと言うことになります。私自身は、京セラには一週間のうち一日行くか行かないかで、商工会議所の会頭だとか人助けみたいなことばかりやっております。それでも、伊藤社長以下全従業員がたいへんよく頑張ってくれて、今期は創業以来最高の利益、最高の売上が達成できそうです。それについては、伊藤社長以下幹部の方々もびっくりしています。
 
それは十四年前にNTTの独占状態のもと、日本の長距離電話が高いのを国民のために安くしてあげたい、と第二電電という情報通信の世界に足を踏み入れ、三分間四百円であった通信料金をなんとしてでも安くしてあげたいと思い「動機善なりや、私心なかりしか」という一念でやった事業がすばらしい展開をもたらし、同時に京セラにも利益をもたらしてくれたのです。
 
そういう点ではこれは私の才能というよりも、そういう生き方、そういう展開をしていった私に対して神様が力を与えてくださったのではないかと思うのです。ですから迷うことはありません、皆さんもいまの六つのことを仕事を通じて実行されれば、必ずや皆さんの企業の前には燦然と輝く未来が現れてくるはずです。また、それが宇宙の法則だと思っていいでしょう。
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●機関紙マラソン20号

【塾長理念】
お客様の尊敬を得る
 商いとは、信用を積み重ねてゆくことです。事実、私たちを信じてくれるお客様が増えていきますと、ビジネスにも多くを期待できるようになるのです。
 
しかし、私は、まだこれ以上のものがあると思っています。もちろん信用は不可欠です。いい品物を安く、正確な納期で、そして素晴らしい奉仕の精神でお客様に提供することで、信用は得られます。しかし、もし売る側に高い道徳観や人徳があれば、信用以上のものが得られるのです。お客様から「尊敬」されるようになるのです。
私は、商売の極意とはお客様の尊敬を得ることだと思います。お客様から尊敬されれば、たとえ、他の会社が安い価格を提示しても買って下さるでしょう。
 
徳性があるということは、優れた価格、品質、納期などを提供すること以上のものを意味するのです。ビジネスをする人間が身に付けるべきは「哲学」なのです。言い換えれば、人を自然に敬服させる器量なのです。この資質を身に付けることを学ばなければ、大きな事業を進めることはできません。
 お客様の尊敬を得ることが、長期にわたる事業の成功につながるのです。

【私の好きな言葉】上村松篁(画家)
歩々清風
 
今から二十年程前の事である。長岡岬塾の老師から輝の話を承る機会があった。その或時「道」 と云う字についてお話しがあった。
 
「道」と云うのは「首」を捧げて走ると云う事である。その道は永くても短くてもよいのであるが自ら行じなければ道とは云いえないと云うお話しをきいた。途端に私は尾艇骨から背筋を通って突きあげる感動があった。涙が込み上げて来たが人前なのでこらえた。
 
よかったと思った。
 
それからもう一つ千里の先にキラリと光る、一寸の針の話をきいた。千里の先の一寸の針を拾うためにあえて苦難の道を歩む。 千里の先の一本の針をようやく拾った時にまた千里の先の針がみえる。そしてまた修業を続ける。目を閉じると古今東西の名画が見える。美しい自然が見える。自然の花鳥。そしてそれらに導かれて日日道を歩んでゆく。

【塾長講話-第十七回】
中小零細から中堅企業へ
そして大企業に発展するためには何が必要か
《単純な仕事を事業のレベルにまで高めた京都企業の経営者魂》
 
多くの皆さんは、ベンチャービジネスというと立派な技術、特殊なノウハウを持った人たちが大企業をスピンアウトして事業を起こすというイメージを抱いていらっしゃいます。しかも、ベンチャーキャピタルが資金的援助をしてくれるものだ、というような華やかな側面ばかりを見ておられますが、決してそうではありません。
 
いまここにいらっしゃる皆さんは、何らかの形ですでに事業を営んでおられます。親から引き継いだ仕事もあれば、自分で起こされた仕事もあるでしょう。ところが、その仕事たるやベンチャービジネスと呼ばれるような華々しいものとは違う、どこにでもあるような仕事、もっと極端に言うと仕方なく親から引き継いだ仕事といった感覚を持っておられる人も多いと思います。
 
しかし私は、もし版にそういう考えを持っておら れる後継者の方が、あるいは創業者の方がいらっしゃるなら、その考え方は間違いだと言いたいと思います。そんな考えはぶち壊してしまうべきです。
 
京都という町はよく、ベンチャー企業発祥の地であるかのように言われます。たしかに、ローム、ワコール、オムロン、村田製作所、任天堂、それに京セラといった高収益の会社があります。
 
京都のそういう企業は日本のべンチャービジネスの成功例としてよく引き合いに出されますが、決して最初から高度な技術や優れたノウハウを持っていたわけではありません。自分の仕事については、素人か、もしくは素人に近い人たちであった、ということです。
 
電子部品メーカーとして世界的に有名な村田製作所さんは、戦前は従業員二、三人の小さな清水焼の窯元でした。それが軍部の要請で酸化チタンの研究をはじめられ、それをきっかけにコンデンサーの開発に成功して以来、戦後、エレクトロニクス用コンデンサーの将来性に着目し、独自の製品を次々と研究・開発して電子部品メーカーとして現在の地位を築かれたわけです。創業社長はまだご健在ですが、エレクトロニクスに関しては初めはまったく素人でした。
 
ワコールの塚本幸一さんは、たいへん悲惨な戦いだったビルマのインパール戦線で部隊が全滅に近いなかから奇跡的に復員されました。復員船の中で、「五十人もいた部隊でたった三人しか生き残らなかったのに、自分が生き残ったのは神様が生かしてくれたとしか思えない。日本に帰ったら、国のために役立つことをしよう」という人生観を持って京都に帰ってこられました。アクセサリーの行商から始め、まったく縁のなかったブラジャーに着目して研究を重ね、女性下着の一流ブランドの企業を育てられました。
 
ロームの佐藤研一郎さんは、もともと音楽家をめざしておられたそうですが、ピアノコンクールで準優勝にしかなれなかったことでその道を諦められたそうです。そして大学の工学部在学中に、炭素皮膜抵抗器という非常にプリミティブな抵抗器のパテントを取り、卒業と同時にその製造を始めて、今日のように企業を大きくしてこられました。どこかの企業に勤めて勉強したわけでもなんでもなく、大学時代には音楽家を志したエレクトロニクスには素人な方が大変な半導体不況の中、素晴らしい収益をあげておられます。
 
任天堂の山内連さんは、もともとトランプや花札を作っておられた会社の跡取りです。それがいまや、ファミコンで世界をマーケットにする企業になっておられます。
 
私の場合、大学時代は化学が専攻でした。当時、石油とか樹脂とかいった有機化学は将来性があるということで学生たちに人気がありました。しかし私は、結果的に松風工業という焼き物の会社に就職することになりました。そこで泥縄式に無機化学の先生に頼んで、卒業論文を仕上げることにしました。 仕方なく専門外の松風工業に入った私でしたが、四年間でなんとか商品化できるファインセラミックスを開発することができました。
 
そのように、いまベンチャービジネスの成功者と言われている人たちに共通しているのは、初めは皆“素人”だったということです。
 
アメリカで発行されている雑誌等を参考としたある統計によれば、売上経常利益率の世界ランキング五十位の中に、村田製作所、ワコール、ローム、京セラという京都の企業が四社も入っています。いずれの企業を見ても最初から高度な技術を持っていたわけではありません。
 
企業というのは、初めから見込みがあってスタートするものではありません。蝶よ花よと周りに騒がれ、事業を起こすことがけが、将来性のあることとは限りません。なんの変哲もない、なんの魅力もなさそうな事業を魅力あるものに変えるのは、後を継いだ人間の才覚と経営者魂です。どこにでも転がっていそうな、身内ですら継ぐのを嫌がるような仕事を、素晴らしい事業に育てあげるということが実はベンチャービジネスなのです。そういう人こそが、まさに起業家なのです。
《しがない仕事を高収益事業にした才覚》
 
京セラは、三十年前からすべての事業部がアメーバ経営による独立採算になっており、それらのアメーバがいま素晴らしい業績を上げています。なかでも三年前につくった「流通事業部」は税引き前利益率が約二十五%という素晴らしい実績をあげています。
 
この流通事業部は、各事業部の製品の検査が終わった後、包装、箱詰め、発送を担当するところです。箱詰めしたものをいったん倉庫に保管し、そこから各得意先に配送するわけですが、北海道から鹿児島まで日本中の工場で作った製品が、いっせいに全国各地のお客様のところへ移動するわけですから、倉庫の管理も、荷造りも発送も実にたいへんです。
 
それをなんとか合理化しようということで伊藤藤社長が国内の流通の全部門を共通にして独立採算の事業部にしたのです。この流通部門だけは、それまで独立採算になっておらず、共通の管理部門として各事業部で経費を負担していました。そのために徹底的にムダを排除し、運送会社のルートまで厳しくチェックして、実費に近い形で運営されていました。
 
そのように厳しい状況の流通部門の事業部化に、「私がやりましょう」と名乗り出た男がいました。彼は滋賀県にある工場の工場長をやってた人ですが、事業部を始めるにあたって「各事業部が今まで、経費として払っていた金額を頂けば結構です」と言いました。それを聞いた各事業部の人たちは、今後もそれまでの実費相当分を払えばいいということで大喜びしました。
 
しかし、実費に近い形で運営していた分の費用を貰ったところで、普通に運営したのでは利益は出ませんし、事業にもなりません。なのに彼は、「実費だけちょうだいして、あとは自分たちで創意工夫をして事業にします」と宣言したのです。
 
彼がまず取り組んだのは、梱包作業をしていた人たちの生産性の向上、倉庫運営の合理化、それから運送会社に対して配送ルートの見直しをはじめとする価格交渉を根気強く行いました。
 
その結果は、実に素晴らしいものでした。九月の半期決算で約二十億円の売上高、五億円弱の税引き前利益を達成したのです。つまり、いままで各事業部が払っていた実費を実質的に消してしまい、おまけに利益までも生みだしたのです。
 
このことには、実は素晴らしい教えが含まれています。誰もが儲からない、つまらないと思っている仕事、厳しい京セラが管理をしてもう一滴のしずくも出ないと思っていた流通部門が、「一生懸命にやったら儲からないはずがない」という一人の男の信念で、年間売上約四十億円という立派な事業になったのです。
 
私は、そのように皆が儲からないと思うようなことを事業にするのが本当の事業家だと思います。「自分がやっているのはしがない仕事だ」「親が亡くなって仕方なく継いだが、たいした仕事ではない」と、自虐的になっていらっしゃる方がいるとすれば、私は声を大にして言いたいのです。
 
「そうではありません。たとえ親から引き継いだ仕事であっても、あなたがそれをつまらない仕事だと思っていることの方が問題なのです。その仕事は決してつまらない仕事ではありません。それを大企業に仕上げるのが、あなたの役目なんです。そのためには、あなた自身の考え方を変えなければいけないのです」。
 
京セラ・流通事業部の目から見れば、クリーニング屋さんでもうどん屋さんでも、もう宝の山なのです。「この商売はしれている、たいして儲からない」と思い込みがちなところを、「一生懸命やってるんだから、儲からないはずがない」「やりようによってはもっといけるはずだ」と、ポジティブな方向で考え、限りなく可能性を追求する姿勢があるかないかで、実は物事の結果は決まるのです。
《下請けいじめは愛のムチ……それで鍛えられた経営努力》
 私が初めてセラミック製品を売り込んだのは、松下電子工業です。 品物はブラウン管の電子銃に使われる絶縁材料で、私のところが100%納めていました。 逆に言うと、松下さんが買ってくれなければ、京セラはすぐに潰れるという不安な状態でした。松下さんの購買部はたいへんシビアなところで、いろいろな理由をつけて値引きを要求されました。「仕入れ数量が倍になったんだから、十%値引きしてほしい」「製造を始めてから一年経ったんだから、製造工程も合理化されただろう。その分安くしてほしい」といった具合に、あらゆる機会を通じて値下げを求められました。
 
「もう値下げは無理です」と言うと、「それでは決算書を見せてほしい」と言われました。 利益の出ていないように少しばかりごまかした決算書を持っていくと、そこは見ないで、一般管理費のところだけ見て「君みたいなところの中小企業で八%も管管理費が要るわけないだろう。三%でよろしい。五%分は負けなさい」といった具合で、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言われるというように、とにかく値切られました。
 
そのように厳しい松下さんに部品を納めている中小企業の親父さんには、二通りのタイプがありました。三分の二くらいの人たちはたいへんな不満を持っていて、「松下も最初は中小企業やったやないか。それがちょっと大きくなったら、威張りくさって」などと、しょっちゅう文句を言っていました。しかし、結局そんなところはたいていつぶれました。

私は、そんな文句を言っても始まらないと思い、「値切れるなら値切ってみろ。それでも自分は頑張る」とばかりに、最後には居直ってしまいました。
 「もういくらでも結構ですよ、値段はそちらで決めてください。その代わり一度決めたら、もうそれ以上の値引きは言わないでください。私がどのように努力し、どれだけ儲けようと黙っていてください」
 
するとべらぼうに安い値段を提示されましたが、私は黙ってその言い値を飲みました。そして、どうやったらその値段で採算がとれるか、必死に考えました。大学出の従業員には、「大学で少しは勉強してきたやろう。品物をどう安く作るか考えるのが、勉強してきた値打ちや。とにかく、どこよりもとことん安く作れる方法を考えてほしい」と指示して、皆で生き残りの道を探りました。
 
大企業に値切られ、生き血を吸われると発想した経営者は自滅し、私のように「下請けいじめは愛のムチ」と発想してその困難に敢然と立ち向かったところだけが生き残ったわけです。
 
京セラが今日、世界の電子部品メーカーとして力を蓄えられたのは、松下さんのあの厳しい購買姿勢に鍛えられたからです。恨みを抱いて潰れていった企業に較べ、私は恩こそ感じても恨みなんか一切ありません。下請けに対する厳しい要求を、恨みで迎えるか、感謝の気持ちで対応するかで企業の道も、経営者の人生そのものもがらっと変わります。値切り倒されて、儲けなんかありそうにもないという状況のなかでも、考え方ひとつでその壁を乗り越えて儲けるのが事業家なのです。
《京都企業に共通する経営者気質みなもとは「誰にも負けない努力」》
 
事業を成功させた京都の経営者には、共通した経営者気質みたいなものがあります。
 
一つは、冒険心が強いこと。二づ目は、挑戦的であること。三つ目は、勝ち気で負けん気の強いこと。四つ目は創造的であり独創的であること。言葉を換えれば、普通一般にそうだそうだというようなことに満足しない、つまり常識的なことに満足しないこと。五つ目は、正義感にあふれていること。六つは、陽気で積極的なこと。七つ目は、反骨精神というか反権力的精神の旺盛なことです。
 
そして最後になによりも強く共通しているのは、たいへんな努力家であるということです。その人たちは、終戦のあの苦しいなかを必死に頑張って生きてきた、勤勉な人たちです。戦後の荒廃のなか、食べるものもロクにないというせっぱ詰まった状況のもとで、旺盛なハングリー精神を発揮して企業を起こした、つまり“誰にも負けない努力”をしてこられた方たちなのです。
 “努力”という言葉で最近とくに感じるのは、内村鑑三の『代表的日本人』に書かれている二宮尊徳のことです。一農民だった尊徳は、当時の荒廃した農村を鋤一本、鍬一本で豊かな村へと変革していきました。農耕用の牛や馬すら売り払ってしまったような、さびれた貧しい村の無気力な人たちに、彼はその熱意で奮起を促したのです。二宮尊徳は自ら率先して、朝は朝星と共に目覚め、夕方は夕星を仰ぐまで田や畑で働き抜きました。
 
内村鑑三は、二宮尊徳を表現するのに「至誠の感ずるところ、天地もこれがために動く」と言っています。つまり、二宮尊徳が誠心誠意、必死で努力している姿を見て、天も地もその試実さや真面目さに感動して動く、と言ったのです
 
京都のベンチャー型経営者の方々は、はじめは素人で何の技術も持っていませんでした。しかし、勤勉で、一生懸命に努力をする人たちであったため、運がついて大成功をおさめられました。実は、くそ真面目に一生懸命になるということが、運のつくもとなのであって、まぐれでは運はつきません。あまりにもひたむきであるがために、神様も情にほだされて、 ついなんとかしてあげたいと思う、それほどの努力をした方々が今の地位を築かれたのです。
 
もう一つ大切な共通点は、数字に強い人たちであったということです。つまり、儲かるか儲からないか、売上から経費を引いて利益が出るという、損益計算が分かる人たちでした。経営者は、計数に強くなければ絶対にだめなのです。
《発展の原動力は“危機感”と“飢餓感”》
 
そのような共通の気質を持った京都の経営者の方々が、どのようにして発展していかれたのか、その過程を見ると面白いものがあります。これらのことは、いまの皆さんの事業にも当てはまるのではないかと思います。
 
まず、素人であるがゆえに技術がありません。あったとしても、せいぜい単品生産しかできない程度のもので、しかも非常にプリミティブな製品しか作れません。そのため、いつお客さんに愛想をつかされるかも分からないという不安な状態、つまり常に危機感と飢餓感にあふれた状態でした。私の場合も、まったく同じでした。
 
皆さんの場合もそうではないかと思います。親から引き継いだあまり将来性もなさそうな仕事なのに、人件費ばかり上がってお客は減る、このままでは会社は危ないという不安感が常につきまとっている方がいらっしゃると思います。経営者というのは、外見は豪放磊落、剛胆そうに見えますが、実は内心では細かいところまで気配りをし、神経を使っているという非常に小心な人なのです。剛胆な人がいい経営をできるというのは嘘で、どちらかといえば小心で常に不安感を持ち、危機感を持った人が経営をしなければ会社は伸びません。
 
次に、素人だから自由な発想ができたことです。彼らは既成の概念や慣習にとらわれずに、すべてのことに疑問を差し挟み「なぜだ?」という発想ができたのです。また危機感の横溢したなかて、なんとかしなければいけないという気持ちは強いものの、技術系の学校を出ているわけでもなく、さしたる技術もないという状況が、創意工夫を生み出したのです。
 
創意工夫といっても、素人ですからたいしたことは考えつきそうもありませんが、なんとかしなければ……ということを毎日毎日考えているわけです。そして、そのためには専門家が必要だ、よし、他の経費を節約してでも大学で専門の勉強をした人を採用して研究・開発をしようと考えます。
 
その結果が、任天堂さんのファミコンへの進出、ワコールさんの下着専門メーカーとしての展開、ロームさんや村田製作所さんの新製品開発という他社の追随を許さない独自の路線を決めたのだと思います。
 
先だって、東京へ向かう新幹線の中で有名なお茶の会社の方から声をかけられました。
 「稲盛さん、お休みのところ誠に申し訳ありませんがちょっと相談したいことがあります。実は、私はいま研究・開発をしないと不安なものですからその部門をつくり、大学を出た人を採用してやらせているんですがそれでいいんでしょうか」。
 
そこで私は、次のように申し上げました。
 「私は若い頃から緑茶がたいへん好きで、ずっと玉露を飲んでいます。お茶は酸化が非常に早く、どんなにいいお茶でも一夏越せばあの瑞々しい色は出ませんし、香りも失われてしまいます。それに較べて外国の一流の紅茶だと、一年経っても二年経っても素晴らしい香りのする美味しいお茶が飲めます。よほど品質管理がしっかりしているのでしょうね。あなたがお茶の研究をなさるのなら、例えば品質管理なら品置管理というようにテーマを決めて、その専門家を雇ってなさるべきじゃないでしょうか。研究というのは、ただお金をかければいいというものではなくて、何を解決するかというはっきりした目的のもとにやるべきものです。はっきりした目標のないお守りみたいな研究なら、止められたほうがいいのじゃないですか。要はあなたが、日本茶をどうしたいのか、ということなんです。研究をなさるのなら、それに対する研究をなさるべきじゃありませんか」。
《中堅で成功安定を得る唯一の方法は「事業の多角化」》
 
研究開発には、いろんな展開方法があります。例えば、土木事業をしておられる方なら、土木工事だけではなくそれに関連した事業に進出するというふうに、自分の得意技をさらに磨くのも一つの方法です。
 例にとった京都の企業群は、最初はすべて単品生産で、それが売れなくなれば会社はおしまいですから、何とかしなければという危機感、飢餓感にあふれていて、主力製品がうまくいっている間に次の製品を育てられました。
 
そこが大切な点で、中小企業から中堅企業に発展するには、いま会社を支えている主力商品のような製品をいくつ開発することができるかということにつきます。そのような多角化が、実は企業発展の要諦なのです。
 
私は京セラを始めるとき、企業を安定させるものは事業の多角化しかないと思い、それを実行してきました。私がいう多角化とは、ある主力商品が駄目になっても、それにとって替われる大きな商品群を作るということです。その考え方としては、同じ分野で主力商品と同じような商品を作るか、同じ分野の延長線上でもまったく視点の違った商品を作ることが考えられます。
 
しかし、あるときワコールの塚本さんに、「あなたは下着を作ってらっしゃって、女性の身体に関しては専門家なんですから、下着以外のファッションを手がけられたらいかがですか」と聞いたことがあります。すると塚本さんは、「とんでもない。下着とファッションとはまったく違う世界だ」と答えられました。同じようにみえるインナーウェアのメー カーでも、 ブラには強いかショーツには弱いといったふうに、それぞれ特徴があるといったことを教えていただきました。そのように、得意技の分野というのは、当事者しか分からない側面があります。
 
または、旅行代理店が損害保険の代理店をするというように、まったく違った分野のものを手がけるのも多角化の一つの道で、多角化というのは柱が一本ではないわけです。
 
よく引用される毛利元就の三本の矢のたとえにもあるように、一本の矢は折れても三本だったら折れにくいように、確かな方向の柱を何本もつくるということが、企業を安定させ、発展させることにつながっていきます。
 
しかし、それはたいへんに難しいことです。一つの事業でもたいへんなのに、二つも三つものことを手がけるとなると、幾何級数的に困難さは増します。一人の人間が、二つも三つもの事業をみることはたいへんですが、それをやらなければ企業は発展しません。それを実行するためには、遊ぶ時間などとてもありませんし、それこほ普通の努力ではない「誰にも負けない努力」が必要となります。さらには、全神経を二等分、三等分して競争相手の一〇〇%に立ち向かわなければならないわけですから、努力ばかりか、神経の集中力も要求されます。
 
多角化とはつまり、そのようにたいへん厳しい状況を勝ち抜かなければなりませんが、その壁を突き破ってこそ中小零細から、中堅企業へと脱皮していくことが可能となります。
《ぜひ乗り越えてほしい中小零細から中堅企業への
多角化という“坂道”》
 親から譲ってもらった、仕事のままだと、たいしたマーケットではないかもしれません。しかし、その仕事をいかにして多角化していくか、それはたいへん厳しいことですがそれを成し遂げて、多角化していくことが中小零細企業から中堅企業へと発展するための“坂道”なのです。“坂道”というのは、多角化のための“坂道”です。
 
その多角化という“坂道”はたいへんに厳しく、アトランタ・オリンピックのマラソンコースではありませんが、見ただけでひるむ人もいるでしょう。そういう人は、ずっと中小零細のままです。
 
ところが、「よしっ!やったうう」と思って、その坂道を上り切った人は中堅企業へと発展していくわけです。しかし、上り切れば発展ですが途中で落ちるとそれは倒産です。周囲の人はそれを見て、「親から貰った中小企業のままでやっておればいいものを、若さにまかせて無茶をして……」と笑うでしょうが、一転して成功すると「あいつはしっかりしとる。親父のときはちっぽけな事業だったのに、息子の代ですっかり立派になった」と褒めてくれます。
 
坂道を上ろうとしない経営者は中小零細企業のまま。上りだしてずっこけると倒産。無事に上りきったら中堅企業への道が開けます。事業発展には、そのような坂道が必ず何回もあります。ちょうど子どもたちが幼稚園から小学校、中学校、高校、大学と進むのと同じように、階段を一つずつ上がらないといけないのです。
《得意技の延長線か跳び石を打つか》
 
坂道の上り方には、いくつもの方法があります。製造業であれば、誰にも負けない技術の延長線上で展開する方法もあるでしょうし、商売ならば得意の営業分野のマーケットで勝負する方法もあるでしょう。
 
私は京セラがまだ小さいとき、「事業を伸ばしていくために、絶対に得意分野にしか手を出さない」と考え、幹部社員にもそのことを強調しておりました。
 「碁でも、下手な者ほど跳び石を打ちたがる。下手は下手なりに隅っこでやって、できた目を大切にしていればいいものを、なまじ跳び石をうつから全部取られてしまう。 決して跳び石を打ってはならない」。
 
下手に跳び石を打てば、精力も努力も何分の一かに分散されるわけですから、得意分野で集中しないと他の専門メーカーと勝負にならなかったのです。
 
そのように跳び石を打たなかった私ですが、京セラをつくって三十年ほど経ったとき、初めて跳び石を打ちました。これは自分から打った跳び石ではありませんが、それまでまったく縁のなかったカメラメーカー、ヤシカとの合併です。また、CBトランシーバーというかつて無線機で大成功した実績を持つサイバネット工業買収のときも、会社が思わしくなくなり助けを求められて打った跳び石です
 
その後、第二電電という大きな跳び石を打ち、引き続いてセルラー、ポケット電話と打ち始めました。いま、京セラがつくっている携帯電話の端末機器はベストセラーになっていますが、実はその陰にはサバイバルネット工業の無線技術が脈々と温存されていて、通信事業の大きな跳び石同士をつなぐ役割を果たしているのです。
《謙虚にして驕らずさらに努力を》
 
そのように事業の多角化は困難であり、危険も伴います。しかし、誰にも負けない努力を続ける覚悟があれば、ぜひ挑戦してみてください。なにも、中小零細のままでいる必要はないのです。
 
私は盛和塾の皆さんに、ずっと「謙虚にして驕らず、さらに努力を」と言い続けておりますが、それは決して忘れてはならないことなのです。多角化という坂道で転ばなくても、何回も成功して会社が大きくなったとき、もともとが強気で、勝ち気で、負けん気の強い人が天狗になったら、それはもう鼻もちないくらいの天狗になってしまいます。そのような天狗になった人の鼻が折れ、事業が倒産したということは新聞記事などでご覧になっている通りです。中小企業としての成功、安定を達成した経営者には「人生観の変化」という共通した特徴があります。具体的には当初の成功欲、金欲といった「我欲」が、成功する過程で「利他」の精神にめざめる変化があるのです。我欲の抜けない人はそれが妨げになり、必ず完敗します。だからこそ、坂道を無事に乗り越えてつけた自信とともに、心を高めよう、 人格を高めようと申し上げているわけです。
 
多角化という坂道を上がって成功し、売上が数百億円のレベルに達したら、大体経営者は素人が玄人に近くなっています。勝ち気な人が成功して初めて数百億円ぐらいまでいくと天狗になるわけです。ですから「謙虚にして騎らず」という人生観への変化が企業家として成功するには大切です。
 「心を高める、経営を伸ばす」ということを盛和塾の原点にしているのも、人間ができなければ経営はうまくいくわけがないと考えているからです。私は皆さんが素晴らしい発展をし、立派な経営者になっていかれるのを見るのが楽しく、そのことが大きな喜びであればこそ、このようにボランティアで全国を走り回っています。
 皆さん、ぜひ頑張ってください

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以上です。ありがとうございました。