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(ソウルメイトの井手君も頑張っています)

日本人の多くの人は、苦しさに耐えること、努力することを良きことと考え、成功のすべてはこれが基礎であり、不成功はこのことが足りなかったためであるように思い込んでいたがそれは間違いである。

例えば眠いのを我慢して読書を続けるというような時には、その読書することに相当の努力が必要になり、努力している限り辛く苦しいであろうが、もしその書物が面白くて読んでいることが楽しければ、夜を徹しても苦しくも辛くもない。

それゆえ努力もない。

努力し、苦しさに耐えているうちは、どんな小さなことでも成功することは難しい。

他人なら努力しなければ出来ないことも、努力しないで楽しんで行えるようになって、スラスラ運ぶのである。

一切の成功に、努力して成就したものはない。問題は苦しむことや努力することではない。

いかに興味を持って自発的に行動するかということにある。

おはようございます。努力の努は、女に又ですが、昔、奴隷としてさらわれた女性と又は、道具をさします。奴隷の奴は、強制労働〜強いられて働く事を指します。

逆に教育とは強制も必要です。

初めのうちは、嫌な事でもしなければならない、させなければならない事もあります。

作家の曽野綾子さんは、幼い頃、文章が苦手でしたが、母親は、強制的に家庭教師をつけて習わせました。そのおかげで作家になれたと感謝されています。

おそらく最初は、嫌でもどこかで国語が好きになられたのだと思います。物事は、綺麗なところではなくドロドロとした中からしか生まれないのかもしれません。そしてこの上司なら泥の中へ突き落とされても構わないと思わせたり、平気で突き落とせるのが上司だと思います。

そして蝶々を見つけて夢中で捕まえようとしたらいつのまにか険しい山の頂上だったという感覚が大切かと思います。

それが努力なのかもしれません

私は才能ではなく典型的な努力家です。それが恥ずかしくてこっそりとやってきました。

ブログもいつのまにか4000日連続です。12年目ですがほとんど病気です。歯を磨くぐらいの話になりました。

本日は、土曜日ですが、仕事です。鳳は、13日から16日までお休みを頂きますがよろしくお願いします。

十年偉大なり、
二十年畏るべし、
三十年にして歴史なる

平凡なことを、何の見返りも求めずにやり遂げる。確かに至難なことです。
その至難なことをやり遂げたときに、周囲の人が動いて下さいるようになりました。
続けてきて良かったと実感しております。  鍵山秀三郎


「楽」と「楽しい」は正反対である。近所の低い山に登ると、鼻歌交じり、まことに「楽」である。

ところが、富士山に登ると「楽」どころか、つらく苦しい。しかし、富士山に登った経験は、いつまでも「楽しい」思い出となって残る。

「楽しい」ためには、厳しい努力がなければならない。