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読書について
一般読者の愚かさはまったく話にならぬほどである。あらゆる時代、あらゆる国々には、それぞれ比類なき天才がいる。

ところが彼ら読者は、この天才のものをさしおいて、毎日のように出版される凡俗の駄書、毎年はえのように無数に増えてくる駄書を読もうとする。

その理由はただ、それが新しく印刷され、インクの跡もなまなましいということに尽きるのである。

このような駄書はいずれニ、三年たてば、打ち捨てられ、嘲罵(ちょうば)される。

そしてその後は永久にみじめな姿をさらして、いたずらに過ぎし世の戯言を嘲笑する際の、材料として引かれるにすぎない。

仕事が一番長い時間使いますが、次に読書に割く時間が多い私です。本は講演などに行かなくても自由に付き合ってくれます

最初は濫読(らんどく)でした。本を読む習慣がある人は初期に何でもかんでも読む事から始まります。

しかし少しずつ量から質へ変化していきます。濫読のままでは人生をムダに過ごしてしまう事になります。

濫読が苦手な人や読むのが40代になって読み始める人が良き本に出会うには良き本を読んできた人に紹介してもらうのも方法です。

本の値段が料理の様に変わるならば値段で買えばいいのですが本だけは良い本も悪い本も値段が同じです。

ここ数年、人から何を読めばいいのか聞かれることが増えました。何を読めばいいか定期的に聞いてくる人もいます。

そのためには、たくさんのテイスティングで味が分からねばなりません。さらに紹介してと言う人の望む本を考える力が必要です。私も勉強になりますし、濫読した時間が浪費から投資へと変わるとも言えます。

これからも読んでよかったと言われる本を増やしていきたいと思います。

本日もご安全に。