おはようございます。今の社会は、我々も含めて何かと言えば人権や平等と言う言葉を借りて他人に依存したり、権利ばかり主張したり。それが当たり前の様な風潮に違和感を覚えます。

そう言いながら私も自分の主張をしながら自分の事を棚上げにして恩を忘れる事があります。権利と権利は、対である事を忘れないようにしたいものです。

さて今日は、日曜日です。ゆっくり休んで明日からよろしくお願いします。5月は、今のペースならば数字達成できません。一人一人の力を出し切って下さい。

(下関から見た関門海峡です)

自分は不自由だと感じるならばそれは周りの誰かや、環境のせいではなく自分のせいだ。自分の人生、自分の命、自分の時間、使い方は自分で決めていい

ただ自由というのは決して楽ではない。
不自由なほうが断然楽なのだ。あれをやれ、これをやれと言われた通りやっていれば、不自由ではあるが学びもあるし
出会いもあるし、充実感もある。結果として人生が開ける。
 
すべてが自由ならば誰に何を言われなくても自分から出会いを求めて行動し自らの人生を無限に開いていくことができる一方で面倒なことから逃げて出会いの機会を減らし成長も、充実感もないまま
人生が行き詰まることにだってなる可能性がある。すべてが自由だった夏休みを思い出して欲しい。 
 
楽になりたい人は、自由を求めないほうがいい。きっと、もっと苦しくなる。自由は、やりたいことに溢れ成し遂げたいことがハッキリしている人が手にしてこそその人の人生を輝かせるものだ。 

(喜多川泰さんの言葉です。6月に福岡で講演がありますが参加したい方がいれば私に言って下さい。福利厚生の一環として処理します。)




(昨日のブログに紹介した攻山寺に掲げてありました。今、ココと言う思想です)