(西郷隆盛書の敬天愛人です)


事務所に昨日掲げた敬天愛人について少々説明しておきます。君たちには、そう言う人になって欲しいです。


「敬天愛人」とは、西郷隆盛が終生、自己修養の目的とし、好んで使っていた言葉です。


こちらは、沖永良部島に島流しに合った時に書かれた書です。この時に多くの書を読み、人格を磨きました。


『南洲翁遺訓』の第二十四にこうあります。「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」


(現代訳)「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。」

 


(小林支店長が抱えた本に「敬天愛人」の文字が 。早くそうなって下さい)

 

 ある日、陸軍大将であった西郷が、坂道で苦しむ車夫の荷車の後ろから押してやったところ、これを見た若い士官が西郷に「陸軍大将ともあろう方が車の後押しなどなさるものではありません。人に見られたらどうされます」と言いました。


すると、西郷は憤然として次のように言い放ったといいます。

 「馬鹿者、何を言うか。俺はいつも人を相手にして仕事をしているのではない。天を相手に仕事をしているのだ。人が見ていようが、笑おうが、俺の知ったことではない。天に対して恥じるところがなければ、それでよい」

 

他人の目を気にして生きる人生とは、相手が主役で自分は脇役です。正々堂々の人生とは、真理と一体になって生きる作為のない生き方です。天とともに歩む人生であれば、誰に見られようとも、恥をかくことはありません。   

 

西郷隆盛は、志士や英雄の闊歩した明治維新のなかでも特に人望のあった日本人でした。人を愛する西郷さんは、味方はもちろん、戊辰戦争で敵方であった勢力にも、大変慕われていました。

 

新政府軍に敗れた庄内藩士らは、厳格な処罰が下ることを覚悟していたのですが、西郷さんの指示により極めて寛大な処置がなされ、そのことに非常に感激したそうです。


明治の時代に入り、西郷さんを訪ね教えを請う庄内藩士がいた程です。西南戦争の際には、庄内藩からの留学生2名が薩軍に参戦し戦死しました。

 

西郷さんは、日本史上最も清廉誠実な英雄であり、仁愛の人であったと言われています。実は、「敬天愛人」の逸話を記録した『南洲翁遺訓』は、この庄内藩士たちが遺徳をたたえ独自に編纂したものです。


(西郷隆盛の真似をする?!小林支店長)


 「天を敬う」とは、「お天道様に恥ずかしくない生き方をする」


混迷する世の中にあって、人のために汗をかけること、そしてたとえ敵であったも「ひと」を愛することの大切さを「敬天愛人」の格言は教えてくれるのではないでしょうか?また西郷さんは「実学」の人でもありました。言葉は人や、ときには時代を動かす力があります。


しかし、その言葉に命を吹き込むものは、声ではなく、「行動」です。世にひろまる様々な名言や格言、そんなことは知っているよ!というのは簡単です。しかし、格言を胸に刻み「お天道様に恥ずかしくないよう」生きていくことは大変な信念が必要です

 

信念に従い最期は西南戦争を指揮し、不遇の死をとげた西郷さんでしたが、だれにも後ろ指をさされない「敬天愛人」の生き様です。


西郷隆盛さんは、ある友人をかくまいましたが藩に聞き入れてもらえずに2人で海にお付き合いで飛び込み、自殺をはかりました。しかし奇跡的に一人だけ助かり、生涯悔やみました。


日本が敗戦で失ったものは、「武士道」です。私の座右の銘である「喜捨」の心には、そんな思いが隠されています。


昨年の盛和塾の塾長例会で鹿児島の城山ホテルでしたがその近くに西郷隆盛が自害した場所があります。


稲盛哲学で言えば京セラフィロソフィーは、西郷隆盛、アメーバ経営は、大久保利通の精神と言えるのではないでしょうか。


(中村天風さんのお弟子さんの書です。

こちらも頂き物ですが)


では、本日もご安全に。

読者の皆様もお元氣にお過ごし下さい。