万日回峰 山中康弘   

鳳凰はるか天空にあり  一挙、9万里はばたけり  知らず天地有情の間 孤影の百雷をもって来たらんを (10000歩まで毎日更新)

2021年01月

探すより磨く

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自分探しに出かけても 
どこにも自分なんていない。
それより
しっかり目の前のことで
自分を磨いた方がいい。
ぴかぴかに磨いて
光り輝いていれば
自分が自分を探さなくても
あなたのことを見つけてくれる
他の何よりも光り輝いているものを見過ごせる人なんていないのだから。
探すより磨くことです。
 
人の才能などほとんど大差ありません。ただ一人一人が違うのだという事です。

「天上天下唯我独尊」
人それぞれが小惑星の様なもので不要なものなどなく、お互いに関係性を保ちながら生きています。

人の才能と比べてうらやむ時間があるなら今の自分の才能を磨いた方が良さそうです。

稲盛塾長は、それを「未来進行形で考えよ」と言われます。今、起こる事に対して今の能力では無理な事でも絶対に出来る様になれると信じて挑戦する事が大切です。

21期の私は鳳の君が今出来ない事にどんどん挑戦させています。ただし指示は一度きりです。それをやらなければさっさと別の人に切り替えます。

今期が我々の変容の年と考えています。昨年蛹になった我々が蝶になるのかなんになるのか知りませんが今が一番重要な年です。

誰かが手にしたものを見て

自分もそれが欲しいと思うことや自分もそうなりたいと思うことはよくあります。


でも、その人がそれを手にするまでの道のりを見てると簡単にそれを手に入れたわけじゃない事が誰にでもわかるでしょう。


誰もがうらやむような何かを手にしている人は誰もが逃げ出すような努力の日々を送っている人なのです。


だからこそ

欲しがるべきは「結果として手に入れたもの」ではなく「そこに至るまでやめずにいられる人間的強さ」を持つ事です。


「重続は力なり」


同じ事の継続ではなく重ねていく事が大切ではないでしょうか


一月の大惨敗の反省をして、二月はやりましょうね。これも偶然ではなく必然です。


よろしくお願いします。













逆境観

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「最善を尽くして、それでもなお与えられたこの苦労は我々の成長のために与えられたものだ

この苦労を乗り越えることを通じて、我々は成長できる。そしてその成長を通じて、我々は、素晴らしい仕事を成し遂げることができる。

そうであるならば、いま与えられているこの苦労、この苦労を乗り越える事によって、お互いに成長していこう。

そして世の中のためになる、素晴らしい仕事を成し遂げていこう」

今年は私の力を今まで以上に磨き上げると同時に鳳の諸君を鍛える事にしました。それは皆さんが一番分かってるでしょう 笑

もちろんそれで合わなければ遠慮なく辞めてください。一昨年までの鳳のやり方では遅かれ早かれ倒産していたでしょう。

人生や仕事における、苦労やこんな、失敗や敗北、挫折や喪失それをどう受け止めるかで運命は大きく変わります。

「人生において起こり得る全ての逆境には深い意味がある」

そう考えられるかどうか?

「あの上司と話していると、辛い時、苦しい時、励まされる」

「あの上司と一緒に仕事をしていると、人間として、成長できる」

そんな人にならないとね。
あなたの存在が人を元気にしているでしょうか?




匹夫の勇

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「匹夫の勇」の意味は「思慮分別の無い血気だけのつまらない勇「匹夫の勇」は「ものごとを深く考えず、思慮分別の無い、血気があるだけの勇気」という意味を持ちます。人は行動を起こす時に強いモチベーションややる気が必要となりますが、それには周囲への影響や計画性を考えることが必要です。しかし、「匹夫の勇」は道理をわきまえず理性や知性に欠け、腕力のみに任せたつまらない勇気を指しています。

ちなみに「匹夫」とは教養のない身分の低い男性を指す言葉です。知的な活動を無視し、力づくで勇ましさを行使する人を指す言葉でもあるため、相手に対し好まれる表現とは言えないかもしれません。

「匹夫の勇」の語源は「孟子」

「匹夫の勇」は中国の思想家「孟子」の「梁恵王下(りょうけいおうげ)」という章が由来となっています。

この中に孟子が「斉の宣王」に放った言葉で「男性が刀を撫でてにらみつけ、血気のみをはやらせいきり立つ姿は匹夫の勇」という内容の箇所があります。

そして、道理を無視しむやみに刀を振るなど、教養の低い者がする到底すつまらない勇気であるという内容が記されています

孟子は現代に数多くの名言を残し、中国を中心とする理想主義的道徳論の土台を構築させたことで知られますが、「匹夫の勇」も人生を理想的なものとして唱えた孟子の教えの一つでもあるのです。

「匹夫の勇、婦人の仁」は韓信が言った言葉

「匹夫の勇」と「婦人の仁」を組みわせた「匹夫の勇、婦人の仁」は、中国の武将・韓信(かんしん)が項羽(こうう)に言った言葉です。そもそも「婦人の仁」とは「弱い人に対して優しいこと」を表し、一般的に「女性が目の前の弱者に対して、優しく手を差し伸べる」ような無条件の優しや、労りの心を意味する言葉。

(婦人の愛とは、無償の愛であり小善とは違います)

「匹夫の勇」

これは最悪の開き直りの蛮勇です。例えば経営者であれば従業員の数が3、10、100、1000人を抱えているとしてどの方の発言が勇気がいるでしょうか?

もちろん1000人です。その数の人の人生を背負って決断しなければならない訳です。数が増えるほどに決断一つ一つが多くの方を幸せにしたり、不幸にしたりする訳です。

そう言う意味で決断にもレベルがあるのです。例えば社員一人が「辞めます」とか「責任を取ります」とか言う事があります

凄く潔くカッコいいと思うならどうかしています 笑。そのミスを全て被って傷つく、場合によっては命をなくす事を指します。それは勇気ではなくただのバカです。

ですから簡単に責任を取るなんて言うなと鳳諸君に言うのです。それはただ自分をカッコつけているだけの話で私も責任が取れる事には限界があります。

近藤社長は「辞めるは逃げるだ」と社員に言われていました。その意味はここにあるのだと思います。

それでもその数を背負って決断する事こそが勇気ではないでしょうか。

鳳の君は、何人背負って決断していますか?

本日もご安全に。











嫌なこと

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(「貧すれば鈍する」〜普通は自分が幸せでなければ他までいき渡らない。シャンパングラスと同じです。しかし本当は、己を犠牲にして愛する何かのために命を捧げるのが人間だと思います。「人間だもの」ではなく「人間だから」ですよ)


こんな事を言われた経営者がいます。

「私は自分が可愛いし、人のために仕事をしていると言うよりは、自分自身のために仕事をしている事は確かだ。

人間、どのような理由をまことしやかに述べようと、しよせんは、自分が可愛いことに変わりはない。

究極においては、自分のために働くのである。私は会社のために働きにくるなどと言う社員は、嫌いだ。自分のためにいかに働くかが問題であり、会社のためなどという社員は嫌いだ。

自分のためにいかに働くかが問題であり、会社のためなどと昔の忠君愛国みたいなことを振り回されるのは嫌だ。それが欺瞞(ぎまん)行為である事は本人が一番よく知っているはずである。

人は誰でも自分の生活を楽しみたい。自由になりたいという事で仕事に精を出すものだ」

我利我利亡者のエゴイストの様に聞こえますが本田宗一郎です

それに続けて彼は「一日二十四時間、いかにエンジョイするかが問題なんです。働くことをエンジョイできるかは自分次第だ。自分のアイデアで仕事をしていけば仕事もエンジョイする事が出来る。またそういう人間は苦痛もエンジョイ出来る」

さらに「仕事が面白いからやったんですよ。そりゃ体はエラい(キツい)、辛い。しかし心はエラくないんだな。どれだけ進んだ、もっとやりたいという気持ちが常にある。体はエラいけれど、心は喜んでいる」

自分を愛するがゆえに人に対して常に真剣に気持ちを汲み取ろうとされていたそうです。

本田宗一郎は、外国人を接待し芸妓さんを呼んでわぁわぁ騒いでいた時、その方が入歯を便所に落としました洗ってみんなの前で自分の口に入れ、ふたたび洗って持ち主に返したそうです

「嫌なことは自分でやれ」

それが行動哲学だったそうですがそれこそが利他の行動の真髄ではないでしょうか。



機関誌第57号感想文

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おはようございます。
本日は、機関誌57号の感想文を掲載させて頂きます。我々、21グループの後の22グループは、弊社の一人を加入させようと思っています。

鳳継承社長候補の一人目だと言う事です。ここから機関誌マラソン3年半と言う長い面接になります。ダメなら二人目、三人目も無理だと言う事です。

どこかに買収して貰うので承知して下さい。基本は社員を守れる事が出来るかどうかです。そのためには、繁栄させなければなりません。私は出来ると思っています。

機関誌マラソンは、千日回峰ですが、稲盛フィロソフィーを学ぶと同時に諸先輩がいかにして会社を経営してきたか学ぶ事が出来ます。

そして共に走る仲間は戦友になりこれからの人生で大変に意味のある存在になる事でしょう。私もこの機関誌マラソンのおかげで前よりは少しはマシな経営者になりました。

1周目は、メンバーとして参加。8年幽霊塾生の私が表に出る事になりました。2周目は、リーダーとして走らせて頂いていますが私より優秀な21人のソウルメイトを引っ張っていく事で私なりの型が出来てきました。

そして本当に多くの学びを頂いています。これが無ければ私の経営者としての信念は生まれなかったでしょう。

本日はzoomで令和初の例会です。画面越しにでも仲間に会える事を楽しみにしています。

塾長理念
「成功に導く基盤とは、愛と誠と調和を尊ぶ心である」

新しい企業文化創生のために  ~役割分担の違いを認識する~
KDDIと言う寄せ集め集団を束ねるために社風について
⇒社風とは、いかなる価値観、判断基準といった座標軸であり、それを「企業文化」と言う言葉に集約されています。三菱商事、三井物産、東京電力など一流企業におられた方々なのでまとまる話もまとまらなかったと書かれています

それは、前会社の理念ではなく自分の都合のいいように解釈されているだけだと言われています。そして「経典主義」の危うさを鋭く指摘されています。

「理念経営」
イエローハットの鍵山さんが盛和塾と疎遠なのはこれが原因だと思うのですが、会社を長きに渡り存在させるには必要不可欠だと思います。

ルールは、その時に正しくてもいつの間にか陳腐化する事を忘れてはならないと思います。「それは、決まりだから」などと固執せずに、原理原則と照らして過ちはその場で正していく事が大切ではないでしょうか。宗教の劣化は、経典主義によるケースが多々有りますが同じだと言えるかも知れません。

[見えざる部分が企業格差を生む]
見える部分→資金、設備、人材、商品、経営者のマネージメント能力

見えざる部分→経営者社員が共に持つべき思想、あるいは、モラルや意識、いわゆる企業文化であり、経営哲学である
⇒フィロソフィーとは知を愛するだけでなくメタフィジックス〜物の上という意味もありますが物の発生の前に心があると考えられます。太宰府天満が出来て菅原道真が生まれた訳では無いのです。

ですから見えざる部分をベースにして見える部分の変革を成し遂げていく事が大変重要だと思います

私は、見えざる部分にこだわってきました。ですから人よりも時間がかかりましたがそれで良かったと思っています。そろそろ見える部分でそれを表現したいと思います。

社員と共に見えざる部分を共有して見える部分を改善して成長します。

人類で言えば文化が先で文明というのはそれを具現化したもので、文化という精神性を置き去りにした事が地球を狂わせている様に思います。

普遍性のある価値観とは、
「理念の必要性は、企業のトップに就任して、自分が多くの従業員を養っていかなければならないという重大な責任を負った時にはじめて感じるものなのです。」
経営理念を創業して10年目につくりましたが21年目突入もしっくりきません。全社員を統合する言葉が必要だと思います。それが鳳統合の詞「全即一」です。

役割分担の違い
男女平等などに見られるいびつな平等主義にも同じことが言えます。差別と区別の認識をキチンとする。そしてそれぞれの職務遂行能力と給与を同調させるのが真の平等だと思います。それぞれの役割分担が役職の事。それを皆に再認識してもらいます。

「仕事を開始するけじめをつくる」「経営は、企業文化で決まる」
⇒ハルカの社員も朝5時半から集まり、夜も遅くまで働いています。自発的に燃える社風が無ければとっくに倒産していますがゆとりも増やすために生産性を上げていく所存です。

経営の研究 私が塾長から教わったこと 伊藤謙介会長
⇨苦楽を共にしてきた方が会長になられたのですね。まさに生き写しのようなお話でした。次期社長の年齢と同世代もしくは、それ以上の年配が従い、惚れさせることが出来るかという問題は、現在100%の株を保有する私がどのように継承するのか悩ましいです。
社長の力量が私以上でなければならないと言う教育の問題。それを解決しなければなりません。伊藤会長の文章を読みながらよくここまで社長の意向と責任感を継承させなければなりません。

松茸群生論
⇒浜松は、本田宗一郎翁、加治屋町は、西郷隆盛の存在によるところが大きいのではないでしょうか。盛和塾も群生場所で塾長の存在が数々の素晴らしい経営者を生み出しているのだと思います。私には21師団の皆さんが松茸に見えています。

ノンタイタニック号
氷の上の部分でなくその下を見よと言われていますがその水面の下に普遍性や原理原則があるのだと思います。浅瀬でバシャバシャせずに深く潜る様に心がけます。

~心の中に佐渡島をつくる~
土俵の真ん中でありながら土俵際で有ると意識すること。
有意注意にも通じるのではないかと思います。西郷は、佐渡島でインプットをして才能を開花させました。その島民にも愛され、この島から出る時も義を第一に考えていました。私にとっての佐渡島は、鳳の社長になってからの人生です。私は死ぬまで佐渡島という意識で人生をまっとうしたいと思います




数字の目標
⇨人間という動物は、満足感を得た瞬間から努力しなくなります。満足感はかえって安易感を生み、無意識のうちに仕事の質と量は落ちていきます。

満足感の中ですぐれた業績を挙げられる者などいるはずもありません。「満足感」快適な環境のもとで、上司の細かな心づかいの中で、自分の能力に合った仕事をして得られた満足感は本物でしょうか?

それよりも自分には無理と思われる様な高い目標と重い責任を負わされて、上司から突き放されて、血の出る様な苦労の末にその目標を達成した時の満足感が本物だと思います。

今期は困難な任務を与えて鍛えています。その過程で鍛えられ、勝ち取った結果に満足感を覚え、自分の能力に自信をもち、次のより高い、より困難な目標に挑戦する勇気や意欲が湧くと思います。目標よりも日常の仕事が優先してしまうのが自然です。それを打破するために日々の行動のチェックとアドバイスを繰り返していきます。

目標は各人の能力に合った実現可能なものにしてきたところに私の過ちがありました。すでに実現可能な見通しがあるのですから実現はほとんど間違いなかったのです。

5歳児に5歳児に出来ることしかさせなければ永遠に5歳児です。大人になれば見た目に見えないのでタチが悪いと言えます。

「目標はトップの決意」
その事を強く意識します。

「動機善なりや」の心でめざす世界中から愛される健康食品産業 松田典仁
⇒松田塾生は、2012年には、日本のラーメンをブラジルに普及する仕事も手掛けられているようです。読んでいると食文化へのこだわりの強さが分かります。養鶏場へ渡られて2年間は壮絶です。私も中学生の頃近くの養鶏場でアルバイトをしたことがありますが悪臭は、肌に染みつき、耳がおかしくなるほどの鳴き声をよく覚えています。
そして鶏に噛みつかれた箇所に塗るプロポリスに興味を持たれ、たまたま一流薬品会社の友人が性能試験をしてくれたことから道が決められたようです。一介の農業移民と自ら言われる謙虚さこそが運や友人や塾長との出会いを引き寄せたのだと思います。

切磋琢磨の道場に集う  塾生講師と京セラ役員・幹部の交流
⇨名簿でもそうそうたるメンバーの諸先輩方ばかりです。写真を見ただけでも緊張感が伝わってきます。コンパの席では、なぜ、なぜと言う言葉が飛び交う…..そんな空気を感じて諸先輩方の会社は、社員と共に成長されたのだと思います。いつも21グループの皆さんに刺激を頂いていますがそれを会社に生かさなければ何の意味も無いと思っています。

あの日 あの時 稲盛和夫氏 ~哲学と先見性をもった経営者~
元 松風工業(株)人事課長 菊池 博
塾長が新卒でお世話になった会社ですが、松風工業は、京セラの成長と共にポンコツ会社として有名になりましたがその当時の社員の方々は、どういう思いで見ておられるのか気になっていました。
稲盛塾長は、素晴らしい感性を20代からもたれていたのでしょう。
「土光敏夫の役割」を元諸先輩や元同僚に期待されておられますが凄い事だと思います。独立してからは、松下幸之助の再来と騒がれたとありました。
塾長の若かりし頃、「研究室の試験炉の横にムシロを敷いてごろ寝をして食事は、流行りかけたインスタントラーメンで済まし、徹夜で製品の出来具合を観察していた。もちろん見返りも求めずに」そしてストでも塾長の部署だけは、稼働されている。
もう社員ではなく経営者のような責任感です。そんな経験や考え方が社長になって生きているのだとつくづく感じました。そして元部下が社長を務める京セラへ入社された所長、倒産の尻をぬぐった川崎重工、すべての出来事を見渡せた素晴らしい文章でした。
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