万日回峰 山中康弘   

鳳凰はるか天空にあり  一挙、9万里はばたけり  知らず天地有情の間 孤影の百雷をもって来たらんを (10000歩まで毎日更新)

 「人は、個別の世界と宇宙をもっていて、お互いの関係性のなかで、影響し合いながら、生きていくもの」それぞれが尊い存在....それが唯我独尊です。

~千回これを鍛と言い万回これを練と言う~

鳳は、翼を広げれば世の中が真っ暗になるぐらいの大きさです。南の果てまで飛んでいく姿を見てセミや小鳥たちが笑います。そんなことをしなくても木から木へ移るだけで生きていけるのになぜ?

理由などありません。

今は、生きざま、昔は死にざま 気楽なモノよ 
  
   ハルカびとよ いざゆかん
 
     鮮やかに咲き 鮮やかに散る  山中 康弘     



                           

機関紙44号感想文


おはようございます。久しぶりに拙者の感想文です。昨日、熊谷君と川中君に話をしましたが30歳までにたくさんの事を学んで下さい。絶対に楽をしようなどと思わない事です。


苦労と楽な道があれば前者を選んで下さい。今、汗や涙を流せない人間は、将来、後悔の涙を流す事になるでしょう。

上に立つには、1番⇒人格 2番⇒勇気 3番⇒能力  が大切です。さらなる精進を強く望みます。


本日もご安全にお願いします。




44 8/7(日)

塾長理念         

「もうダメだと言う時が仕事の始まり」

⇒寝ても覚めても考えに考え抜くことで活路を見出す。 そのために燃える熱意や情熱を失わないようにしたいと思います。

 

リーダーのあり方について

「一国は、一人を以て興り、一人を以て亡ぶ」

⇒アメリカのジョージ・ワシントンさんのお話は、納得です。全権を持つ人間が人格者であれば国家(会社)は、独裁であろうと栄えると思います。いい例が明るい北朝鮮と言われるシンガポールです。リークワンユーという一人の首相が偉大な国家を創り上げました。もう一つ言えば彼も台湾の李登輝さんも華僑の大富豪もこの客家出身です。私の見習うべきモデル組織は、客家であり、そんな普遍性を組織に植え付けようとしてきました。悪い例で言えば北朝鮮になるのですがその独裁者の人格の良し悪しで組織が変わる事は、歴史が証明している事だと思います。

 

胆力の重要性

⇒人格と双璧して大切な事が胆識と言われています。「こうでなければならない。こうありたい。」と願う事を見識と呼び、それは、「確固たる信念にまで高まっていなければならない」と安岡さんの言葉を引用されています。明治維新の頃の日本人は、「肚(はら)で生きる」事が当たり前の時代でした。そういう生き方を言われているのだと思います。それは、統率力であり、決断力で有り、実行力であると言われています。私同様に社員にもその胆力を磨くことを常々指導してきました。 1番⇒人格 2番⇒勇気 3番⇒能力 そろそろ 1番と 2番だけでなく 3番を磨かなければならないところまできました。

 

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

⇒この意識を社員全体に浸透させなければと思います。

 

どの山に登るか?

⇒創業 17年になりますが自分でもどの山なのか分かりません。しかし皆さんと出会い今の山では、低すぎる事だけは分かりました。もっと志の高い山を登る気概で経営をせねばと反省しきりです。そして高い目標は、それに見合うプロセスが必要と書かれています。それも皆さんと塾生先輩方の過去から学ばせて頂いています。

 

六波羅蜜

「布施・自戒・忍辱・精進・禅定⇒智慧」

その中でも布施について意識しています。布施とは、喜捨の心で施す事を言いますがそれを自然にできるように自分を磨かなければと思います。その5つを強く意識することで素晴らしい叡智が生まれる。それを今後も繰り返しいます。

 

最後に普遍性と書かれていますが非常に共感できます。普遍性を社員たちと共有する。日々の仕事のアドバイスや現象などは、その普遍性を共有していればずれる事はないと言うのが自論です。

 

「人種を超え、文化を超え、言葉を超え、等しく共有できるような普遍性」

⇒新たな目標ができました。なんとかそれを手に入れたいです。

 

心の研究 (溝口雄三教授)

「拙者ただ一人」

⇒会社は、社長次第と言う事を常に意識しているつもりですがまだまだ切腹ほどの責任や覚悟ではありません。左の腹を深く刺して静かに右に回しまた戻して切り上げた~そして担当を引き抜き首を差し出す……ある方に「生き死にを意識しない仕事など遊びに過ぎない」と言われた事がありますがこのぐらいの意識を持った決断をしなければならないと思います。


有意注意で精進を重ねます。

 

⇒同業他社の殲滅が企業の繁栄と言うのが西洋的な経営で日本的経営はお互いの住む場所を探して住み分ける。そんな形が日本の土壌には、合うような気がしてなりません。中国には、ダオツェンとシエヅイという中国語があり、お詫びはしたが謝罪はしていない…… .目から鱗です。

 

人間としての普遍的価値観とは、「公平、公正、正義、勇気、誠実、忍耐、努力、親切、思いやり、謙虚、博愛… .

⇒これは、社風になりつつあるようです。昨年よりも今年好調な理由は、そういう事も有るような気がします。そして束ねると言う感覚が少しだけ分かりかけてきました。

 

「心は、天地のもの」孫子の兵法で敵を打ち負かす事ばかり考えてきた中国は、朱子をはじめとした儒教を見直した方がいい気がします。

 

中国経済発展について

⇒この国の未来は、理解も予測もできません。経済大国と言えども貧富の差は、凄まじく、会社の汚職も当たり前… ..陳塾生をはじめとした中国の経営者は、本気で塾長のお話を受け止めているのでしょうか?南京も酷いのですが北京は、さらに酷いようです。大陸の歴史は、覇権争いの連続で仕方のない事なのでしょうか?日本在住の中国の方が日本に追いつくのは、 50年かかると言われています。旅行は、日本に限ると中国の若者が言っていました。理由は、サービスがいいからだそうです。ここに登場する方々は、本気で書いているのでしょうか?それとも稀有な経営者なのでしょうか?

 

時代のニーズに合わなくなった家具 小売り業をどうすればいいか?

⇒先日、大川地区の家具屋さんを回りましたが元気なのは、関家具さんと数社ぐらいでしょうか。閉店する店も見かけました。塾長が老人福祉事業も飛び石ながら一つの道と言われていますが我々も生き残りをかけた飛び石が来るかもしれないと思います。しかし国を含めて保護政策が絡む事業は、弱くなる現実があります。次の代、次の次の代まで生き残れる事業を模索したいと思います。

 

理念の共有を果たして一歩を踏み出した全員参加の経営 井関新吾 

⇒一体感… ..ごく当たり前の事のように思えます。そう言えるのに 15年かかりましたが。とにかくこれからは、商育に力を注ぐ所存です。

 

流通再編の荒波にもまれながら"異質化"による今後の在り方を模索 福井誠司

地ビール業界は、塾長の言われるようにいばらの道でした。その中で銀河高原ビールは、破たんしました。そして政治家になられた福井塾生… ..塾長は「利益を出す体質にするのが先決で地ビールには、賛成できません」と言われました。塾長の先見の明には、ただただ驚くばかりです。

 

宇宙的発想でほんものを追求し続ける人  貴和 皓山

有田の時代、曜変でなく窯変と言っていました。酸素を燃焼不足状態にすると色が青みを帯び、色の変化が窯の下、窯の上、窯の中で管理できないほどにあばれます。そのタイルの生産技術担当をしていました。釉薬にチタンを使うとそれはモネの絵のように素晴らしいタイルが完成します。 1300度の焼成温度でチンチンと言う金属音がする製品です。そして「山中さん、純粋無垢な人間になりなさい」と言われた事を思い出しました。今は、非効率的な生産に利益を出す術はなく閉鎖になりました。他の大量生産型のタイルによる価格破壊とバブル崩壊により追い打ちを掛けました。日本の陶芸が世界レベルに広がる事を切に願います。

 


幕末・維新歴史探索


(松下村塾前で昭恵夫人と)
白駒妃登美さん主催で幕末・維新歴史探索企画に参加させて頂きました。空港では昭恵夫人と一緒に下車したためにSPと間違われてしまいました 笑

非常に気さくな方で今の状況の一切を受け止めて、誰の悪口を言われず、勉強になったと笑顔で言われました。教育勅語についても素晴らしさを認められておられました。もちろん私も同感です。

その後は、アルゼンチンの大統領夫妻との会食のため東京へ移動されました。今は、総理の妻の役割だけでなく竹の普及に努めておられました。
(功大寺の庭です。君が代の苔を思い出します)

ひと群れの竹は、根が繋がっています。60年が寿命ですが生涯に一度だけあまり目立たない香りもしない白い小さな花を咲かせて一斉に枯れてしまいます。そのしなやかさは、ご存知の通りですが節全体で光合成をするのでタケノコから竹になるまでに何日もかかりません。我々も竹の様に点でなく面で仕事をしたいです。そして天に向かってどんどん伸びますがこれ以上伸びたら横風や重量で倒れると言う事を知っている様に成長を止めます。それは、「足るを知る」と言う言葉にも繋がっている気がします。そして会社の屋号である鳳は、竹から出る甘露水しか飲みません。

(特別に松下村塾の中で和尚のお話を聞かせて頂きました)

今回は、親孝行がテーマでしたが父も大変な喜び様でした。バスの中では、白駒妃登美塾長がバスガイドさんをされて歴史を語られると言う贅沢な旅行になりました。
(松陰神社で正式参拝)

「飛行機は、向かい風を受けないと離陸できないってことを…。向かい風は、あなたが離陸するために必要不可欠なもの。逆風真っ只中という方は、きっと今が離陸のときなんです。これからその風に乗って、どんなステージに運ばれていくか、楽しみですね♪そして周りの人は、そんな逆境にある友をぜひ支えてあげてほしいな。  

以前、台湾の方から"雨の日の友だち"という素敵な言葉を教えていただきました。多くの人は、相手の状況がいい時にはすり寄っていき、相手の状況が悪くなると、スーッと離れていったり、手のひらを返すように相手を裏切る。でもね、本当の友だちって、雨の日にそっと傘を差し出してくれるような人を言うんだよ。

人生には晴れた日もあれば、どしゃぶりの日もある。大切な人が雨にぬれて風邪をひいたら悲しいじゃない? 傘と温かい毛布をそっと渡せる人でありたい。
 白駒妃登美

(白駒妃登美さんを囲んで下関のuzuハウスで乾杯)
(白駒さんと一緒に)

では、本日もご安全に。
読者の皆様にも素晴らしい1週間でありますように。



自由と不自由、権利と義務

おはようございます。今の社会は、我々も含めて何かと言えば人権や平等と言う言葉を借りて他人に依存したり、権利ばかり主張したり。それが当たり前の様な風潮に違和感を覚えます。

そう言いながら私も自分の主張をしながら自分の事を棚上げにして恩を忘れる事があります。権利と権利は、対である事を忘れないようにしたいものです。

さて今日は、日曜日です。ゆっくり休んで明日からよろしくお願いします。5月は、今のペースならば数字達成できません。一人一人の力を出し切って下さい。

(下関から見た関門海峡です)

自分は不自由だと感じるならばそれは周りの誰かや、環境のせいではなく自分のせいだ。自分の人生、自分の命、自分の時間、使い方は自分で決めていい

ただ自由というのは決して楽ではない。
不自由なほうが断然楽なのだ。あれをやれ、これをやれと言われた通りやっていれば、不自由ではあるが学びもあるし
出会いもあるし、充実感もある。結果として人生が開ける。
 
すべてが自由ならば誰に何を言われなくても自分から出会いを求めて行動し自らの人生を無限に開いていくことができる一方で面倒なことから逃げて出会いの機会を減らし成長も、充実感もないまま
人生が行き詰まることにだってなる可能性がある。すべてが自由だった夏休みを思い出して欲しい。 
 
楽になりたい人は、自由を求めないほうがいい。きっと、もっと苦しくなる。自由は、やりたいことに溢れ成し遂げたいことがハッキリしている人が手にしてこそその人の人生を輝かせるものだ。 

(喜多川泰さんの言葉です。6月に福岡で講演がありますが参加したい方がいれば私に言って下さい。福利厚生の一環として処理します。)




(昨日のブログに紹介した攻山寺に掲げてありました。今、ココと言う思想です)





 

 

高杉晋作の生涯


昨日は、高杉晋作が潜伏した功山寺にお邪魔しました。和尚さんの説法も素晴らしかったです。


高杉は、1864年に功山寺に挙兵しますがそのあたりを書いてみます。


長州藩内では、幕府よりの政治を推し進めた者たちが要職に就いたために討幕を推し進めていた高杉晋作の仲間たちは、次々に排除されました。自分の身の危険を感じた晋作は、福岡の平尾山荘に身を隠します。

 

時代を読んでいた高杉晋作は、行動を起こす時だと思い、下関の功山寺に(たったの)80名の兵が集結します。



(顔が嬉しくて笑ってますが晋作が頭を下げた場所です)


そして下関で長州藩の奉行所を襲撃して奇襲攻撃をかけて藩の軍艦3艇を強奪します。その活躍を見た他の諸隊も次々に加わり、2000人にも達する規模となります。

 

戦いの末に幕府よりの政権を倒し、薩摩と共に討幕へと踏み出す事になりました。


 

 

「おもしろき こともなき世におもしろく すみなすものは こころなりけり」

下の句の「すみなすものは~」は野村望東尼 (のむらぼうとうに又はもとに )という女流歌人が付けた句といわれる。

 

悩みは、福岡の平尾で出会った東尼さんが愛人であったことのようです。辞世の句の最後「住みなすものは こころなりけり」は、本妻でなく愛人が加筆したものです。両親にも弱く長男としての役割も気にしていました。


自害することは、逃げる事だとして良しとしなかった様です。

 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」そう呼ばれた男の生き方は、今でも憧れる方が多い事は、言うまでも有りません。


 

1839 (天保 10 )
長門国萩城下菊屋横丁 (現山口県萩市 )に高杉小忠太の長男として生まれる。
10
歳の頃に疱瘡 (天然痘 )を患う。

1852 (嘉永 5 )
日本三大学府の一つ、明倫館に入学。
内藤作兵衛に柳生新陰流剣術を学び、のちに免許皆伝される。

1857 (安政 4 )
幼馴染の久坂玄瑞に誘われて吉田松蔭が主宰している松下村塾に入学する。

1858 (安政 5 )
藩命により江戸へ遊学。

1859 (安政 6 )
安政の大獄により、師である吉田松陰が処刑される。
吉田松陰の魂を受け継ぐ。

1860 (万延元年 )
山口町奉行井上平右衛門の次女まさと結婚する。

1861 (文久元年 )
海軍修練のため長州藩所有の軍艦「丙辰丸」に乗り江戸へ向かう。
幕末江戸三大道場の一つ、神道無念流練兵館道場で剣術稽古。
東北遊学をし、松代の佐久間象山、維新の十傑の一人福井の横井小楠らと交流する。

1862 (文久 2 )
藩命により上海視察。アヘン戦争に負け欧米の植民地となりつつある中国をまのあたりし危機感を抱く。
上海から戻った高杉は横浜で外国人暗殺を計画するが、長州藩に制止され謹慎処分を受ける。
品川にある英国公使館焼き討ちを行う。

1863 (文久 3 )
長州藩が下関戦争で惨敗する。
奇兵隊を結成し初代総督になるが、教法寺事件の責任を問われ罷免される。

1864 (文久 4 )
無断で京都に行き脱藩とみなされ投獄される。
その間、禁門の変により久坂玄瑞が自刃。
馬関戦争の講和交渉を任され、ほとんどの要求は受け入れたが、「彦島の租借」だけは断固拒否し取り下げさせる事に成功。
これは先の上海視察で中国の現状を知っていたので、「領土の租借」がどれほど危険な事かを見抜いていたためである。
幕府による第一次長州征伐後、長州藩では幕府よりの俗論派が台頭。
身の危険を感じ福岡へ逃れる。
機を見て戻り、功山寺で挙兵し、俗論派を退け藩の実権を握る。

1866 (慶応 2 )
土佐の坂本龍馬の仲介の元、薩長同盟が結ばれる。
その後、薩摩へ行き、長崎で「丙寅丸 (オテントサマ丸 )」を購入。
第二次長州征伐 (四境戦争 )で海軍総督としてこの「丙寅丸」に乗り幕府軍と戦う。
将軍・徳川家茂の死去により幕府敗北が決定的となり、これにより幕府の権威は失墜。

1867 (慶応 3 )
肺結核のため大政奉還を見ずしてこの世を去る 享年 29
高杉の死後、約半年後に大政奉還へ。

どんな人物だったか・死に至った経緯

 幼い頃は学問はむしろ嫌いだったようで剣術の稽古ばかりしていたらしい。
しかし、吉田松陰主宰の松下村塾に入学した際、松蔭に「久坂に劣っている」と言われ学問に励むようになったと言われている。

 

 その後、久坂と切磋琢磨しお互いを高め合ったという。まさに、よきライバルといった感じでしょう。

 

 最後は肺結核を患いながらも無理して指揮していたが、藩命により療養。
その後死去。享年 29


 

心を耕す

私は、博多の歴女と呼ばれる白駒妃登美さんが主催する和ごころ塾の一期生です。昨年は、素晴らしい志を持つ方々との出会いや日本の歴史を見つめ直す素晴らしい機会を頂きました。

本日は、勝手ながらお休みをいただき、そのメンバーの方々と安倍昭恵さんと白駒妃登美さんと幕末、維新歴史探訪の旅に出掛けます。

白駒さんは、歴史的眼孔を持ち、それを未来に伝え、日本へ志のバトンを繋ぐために執筆活動や講演や日本各地で塾を開かれています。

私の最も大切な仕事の一つは、君たちを正しく導き、成長させることにあります。そのためには、常に君たち以上の徳を身につけなければなりません。

私の夢は、鳳と言う会社を松下村塾の様にする事です。鳳諸君と共に成長して少しでも日本の役に立ちたいと思っています。と言いながらも私がポンコツ社長なので君たちに成長して貰わないと困るのです。

昨日の苦言で熊谷君が在庫表をつくってくれました。過ちとは、過ちそのものではなく、過ちを改めない事です。これからもよろしくお願いします 笑


ジェームス・アレン「人間の心は、庭のようなものです。それは、知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますがそこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったならば、そこには、やがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂る事になります。」


この言葉は、稲盛塾長がよく引用されます。我々も美しい種を植えなければなりません。雑草が生い茂げない様にしましょうね。



では、本日もご安全に。

読者の方々も善き1日になります様に。

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